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ジジイの世迷言 2021年 7月 荒川 祥彦
第31話 「MGC(マラソン・グランドチャンピオンシップ)って何だったのだろう」(男子マラソン)
2020.3.1 2020東京マラソン。大迫選手日本新記録で日本人1位。
ゴールテープを切る直前 彼は形相を変えて何かを叫んでいた。
彼は前年2019.9.15に表題のMGCで第3位に入った。
その時、オリンピック代表は決まりと愚生は思った。ところが第3位については代表決定ではなくて、その後のMGCファイナルチャレンジを3レースやって、そこで派遣設定記録(2時間5分49秒)より速い記録を出した選手の中の最速の選手を第3番手のオリンピック代表選手に選考すると言うルールがあることを後で知った。愚生には理解の出来ない選考方法だった。
今回の2020東京マラソンはMGCファイナルチャレンジの一つのレースで、大迫選手は本人が以前に出した日本記録(2時間5分50秒)を更に上回る2時間5分29秒の日本新記録を出した。
他2回の同チャレンジレースでは匹敵する記録は出なかったので大迫選手の代表決定となったのだが、MGC(グランドチャンピオンシップ)と銘打った試合の後に何故MGCファイナルを3回も行う必要があったのか未だに理解できないでいる。
確かにMGCとMGCファイナルをやってオリンピック代表を選考すると言うルールが決められている。
それに反論しても意味ないことだが、愚生の頭の中では、「これまでは代表選考のためいくつかのレースが設定されていたけれどコースも違うし日によって気象条件も違うので、一律にタイムの比較だけで代表を決めるのは不公平」と言うことで、「一発勝負」を掲げて決めた、言ってみれば予選会(※)を勝ち上がって来た選手達による「決勝戦」がMGCと思っていた。(※ 2017~2019年の日本陸連の指定したレース。3年掛けて34選手が選抜された。)
ところがそうではなく、(繰り返しになるが)MGCでは第2位までがオリンピック代表決定(厳密には細かいルールがあるが省略する)、第3位はまたしてもコースも違う、気象条件も違う何レースかを実施して選考すると言うことだった。
端的に言うと、「決勝戦」の後再び「予選会」をやって決める、と言うことである。
これまでの(不公平と言われていた)選考方法と何が変ったのだろう。
「一発勝負」の旗印は何処に行ったのだろう。
冒頭のゴール直前で、大迫選手は「これで文句はないだろう」と叫んだのでないかと愚生は思っている。彼自身もMGCを走ってその後にもう一度MGCファイナルを走ることに疑問を持っていたのではないだろうか。
「屋上屋を重ね」て「元の木阿弥」になってしまったような気がする・・・。
そういうルールになっているのに、随分とキバって異を唱えてしまったが、でもやっぱり「決勝戦」の後のもう三度の「予選会」には、疑問が消えないのである。
ジジィの世迷言である。乞御容赦。
(2020.3.8)
2020.3.1 2020東京マラソン。大迫選手日本新記録で日本人1位。
ゴールテープを切る直前 彼は形相を変えて何かを叫んでいた。
彼は前年2019.9.15に表題のMGCで第3位に入った。
その時、オリンピック代表は決まりと愚生は思った。ところが第3位については代表決定ではなくて、その後のMGCファイナルチャレンジを3レースやって、そこで派遣設定記録(2時間5分49秒)より速い記録を出した選手の中の最速の選手を第3番手のオリンピック代表選手に選考すると言うルールがあることを後で知った。愚生には理解の出来ない選考方法だった。
今回の2020東京マラソンはMGCファイナルチャレンジの一つのレースで、大迫選手は本人が以前に出した日本記録(2時間5分50秒)を更に上回る2時間5分29秒の日本新記録を出した。
他2回の同チャレンジレースでは匹敵する記録は出なかったので大迫選手の代表決定となったのだが、MGC(グランドチャンピオンシップ)と銘打った試合の後に何故MGCファイナルを3回も行う必要があったのか未だに理解できないでいる。
確かにMGCとMGCファイナルをやってオリンピック代表を選考すると言うルールが決められている。
それに反論しても意味ないことだが、愚生の頭の中では、「これまでは代表選考のためいくつかのレースが設定されていたけれどコースも違うし日によって気象条件も違うので、一律にタイムの比較だけで代表を決めるのは不公平」と言うことで、「一発勝負」を掲げて決めた、言ってみれば予選会(※)を勝ち上がって来た選手達による「決勝戦」がMGCと思っていた。(※ 2017~2019年の日本陸連の指定したレース。3年掛けて34選手が選抜された。)
ところがそうではなく、(繰り返しになるが)MGCでは第2位までがオリンピック代表決定(厳密には細かいルールがあるが省略する)、第3位はまたしてもコースも違う、気象条件も違う何レースかを実施して選考すると言うことだった。
端的に言うと、「決勝戦」の後再び「予選会」をやって決める、と言うことである。
これまでの(不公平と言われていた)選考方法と何が変ったのだろう。
「一発勝負」の旗印は何処に行ったのだろう。
冒頭のゴール直前で、大迫選手は「これで文句はないだろう」と叫んだのでないかと愚生は思っている。彼自身もMGCを走ってその後にもう一度MGCファイナルを走ることに疑問を持っていたのではないだろうか。
「屋上屋を重ね」て「元の木阿弥」になってしまったような気がする・・・。
そういうルールになっているのに、随分とキバって異を唱えてしまったが、でもやっぱり「決勝戦」の後のもう三度の「予選会」には、疑問が消えないのである。
ジジィの世迷言である。乞御容赦。
(2020.3.8)
これまでに掲載した「ジジイの世迷言」
《巻頭》
年寄りと呼ばれ、自らもそう思う年まで生きた。先ず無難な生き方をしてきたと思うが、平々凡々であったかと言うとそうでもなかったと思う。成功よりも失敗の方が多い。栄光など知らない。挫折ばかり思い出す。そんな人生経験者が何も残したいと思う事もないが、一言言ってみたい事はそれなりにある。日常接している事、頭の中で自分勝手に考えている事などなど。そして範囲も、世相の事、他人の事、自分の事など様々である。
無知・拙文へのご批判、御不満を顧みず書き連ねてみたい。お気に障られた方にはご容赦戴きたく。
愚生の故郷秋田の民謡「秋田音頭」の出だしでもこう唄っている。
「ハァー 秋田音頭ですゥ。さあてこれよりご免こうむり音頭の無駄を言う。当たり障りはあろうけれどもさっさと出し掛ける。アーキッタカサッサー
ドン アードッコイナァ。」
こんな心境でやってみるべー。
無知・拙文へのご批判、御不満を顧みず書き連ねてみたい。お気に障られた方にはご容赦戴きたく。
愚生の故郷秋田の民謡「秋田音頭」の出だしでもこう唄っている。
「ハァー 秋田音頭ですゥ。さあてこれよりご免こうむり音頭の無駄を言う。当たり障りはあろうけれどもさっさと出し掛ける。アーキッタカサッサー
ドン アードッコイナァ。」
こんな心境でやってみるべー。
第1話 「全国高校野球選手権大会(夏の甲子園大会)」
昨年(2018年)の甲子園大会は特別な思いが残った。秋田県立金足農業高校が準優勝した。秋田県勢としては103年振りの決勝進出である。100回前(正確には99回前)の第1回大会は愚生の出身校である県立秋田高校の前身の旧制秋田中学が決勝に進出した。その時以来の快挙である。全員が金足の地元周辺の中学校出身者で雑草軍団と呼ばれる所以の地域色豊かな子供達が、公立高校・農業高校の代表としての期待を背負う形になって、全国の優秀な子供達を集めた強豪校が多い中で決勝に進んだと言う奇跡にも近い結果を残したことは、将に100年に一度の偉業と言うに相応しい。
折しも人口減少が深刻な問題になっている秋田県にとって、大いに盛り上がって欲しいし、何かの飛躍のきっかけにして欲しい。第1回と第100回の区切りの大会での同県勢の準優勝と言う因縁と大きな感動を感じた夏だった。
折しも人口減少が深刻な問題になっている秋田県にとって、大いに盛り上がって欲しいし、何かの飛躍のきっかけにして欲しい。第1回と第100回の区切りの大会での同県勢の準優勝と言う因縁と大きな感動を感じた夏だった。
第 2 話 「聞き慣れない言葉」
今まで余り聞いたことのない言葉、初めて聞く言葉を最近耳にする。
曰く、「線状降雨帯」、「ブラックアウト」、「雨と地震の複合化現象」、「新しいタイプの気象」などなどなど・・・。
「線状降雨帯」。この言葉はつい2~3年前頃から聞き始めた記憶がある。雨雲がある方向に一直線に伸びていて、その下の特定場所で雨が長時間降る現象である。雨雲が発達していればいるほど雨量が多くなり、長時間の集中豪雨になる。これが最近各所で多く発生し、河川の氾濫、土砂崩れを招き、大きな災害をもたらしている。2~3年前と言ったが、確かにその前は聞いたことがなかったと思う。それだけ新しい気象現象であり、気象が変わって来ていることの表れでないだろうか。
「ブラックアウト」。2018年9月6日の「北海道胆振東部地震」で北海道全域が停電になった際に言われた。これは3・11のあの東北大地震の時も起こりそうになったが、辛うじて防げたためにこの言葉は話題にならなかったと言う。今回は一ヶ所の大きな発電所が故障した結果電力の需給のバランスが崩れ、それが周波数の低下を招き、未だ稼働していた他の発電所も故障を防ぐために一斉に停止したと言う。更にバックアップとして本州からの送電も行ったが途中で出来なくなったらしい。我々が日常何の気なしに使っている電力の供給にも複雑な仕組みがあるらしい。専門家がやっている事なのだが我々の周辺でも起こる時は簡単に起こってしまいそうで何か不安になる。
そして「複合化現象」。今回の北海道の地震は台風21号で大雨が降った後に大きな地震が発生しその為の土砂崩れだったと言う。別々には事例は沢山ある。日本全国で豪雨、地震が多くそして日本の国土の至る所は火山灰地質である。こんな中で大雨、地震が連続的に起こるのは例がなかったと言うが、「一緒に起こること」即ち「複合化」はこんなに解析技術が発達している現在でも予測もシミュレーションも出来ないのだろうか。
そして、今回の台風による大雨とその後の地震を「新しいタイプの気象」と言う報道がなされたが、確かにこれまで梅雨や台風のなかった北海道に、梅雨が、台風が来るようになった。だから大きな被害がもたらされた。しかし、これらの気象変動は何年か前から既に判っているし、この原因は地球温暖化にあることもほぼ間違いないとも言われている。「新しいタイプ」などと言っている場合でない。地球規模での早急な対応が必要でないかと考える。
曰く、「線状降雨帯」、「ブラックアウト」、「雨と地震の複合化現象」、「新しいタイプの気象」などなどなど・・・。
「線状降雨帯」。この言葉はつい2~3年前頃から聞き始めた記憶がある。雨雲がある方向に一直線に伸びていて、その下の特定場所で雨が長時間降る現象である。雨雲が発達していればいるほど雨量が多くなり、長時間の集中豪雨になる。これが最近各所で多く発生し、河川の氾濫、土砂崩れを招き、大きな災害をもたらしている。2~3年前と言ったが、確かにその前は聞いたことがなかったと思う。それだけ新しい気象現象であり、気象が変わって来ていることの表れでないだろうか。
「ブラックアウト」。2018年9月6日の「北海道胆振東部地震」で北海道全域が停電になった際に言われた。これは3・11のあの東北大地震の時も起こりそうになったが、辛うじて防げたためにこの言葉は話題にならなかったと言う。今回は一ヶ所の大きな発電所が故障した結果電力の需給のバランスが崩れ、それが周波数の低下を招き、未だ稼働していた他の発電所も故障を防ぐために一斉に停止したと言う。更にバックアップとして本州からの送電も行ったが途中で出来なくなったらしい。我々が日常何の気なしに使っている電力の供給にも複雑な仕組みがあるらしい。専門家がやっている事なのだが我々の周辺でも起こる時は簡単に起こってしまいそうで何か不安になる。
そして「複合化現象」。今回の北海道の地震は台風21号で大雨が降った後に大きな地震が発生しその為の土砂崩れだったと言う。別々には事例は沢山ある。日本全国で豪雨、地震が多くそして日本の国土の至る所は火山灰地質である。こんな中で大雨、地震が連続的に起こるのは例がなかったと言うが、「一緒に起こること」即ち「複合化」はこんなに解析技術が発達している現在でも予測もシミュレーションも出来ないのだろうか。
そして、今回の台風による大雨とその後の地震を「新しいタイプの気象」と言う報道がなされたが、確かにこれまで梅雨や台風のなかった北海道に、梅雨が、台風が来るようになった。だから大きな被害がもたらされた。しかし、これらの気象変動は何年か前から既に判っているし、この原因は地球温暖化にあることもほぼ間違いないとも言われている。「新しいタイプ」などと言っている場合でない。地球規模での早急な対応が必要でないかと考える。
第3話 「韓国ドラマの不思議」
妻の影響で韓国ドラマを案外と見るが、日本と違う風習とか、一寸理解できないことが出てくる。
・(個人の)家の中とか玄関・門などのシーンがあるが、駐車場が出て来ない。セレブらしい家の立派な門の前に車を停めて乗り 降りするシーンが良くあるが、駐車場らしき所は出てこない。個人宅にはないのだろうか。
路上駐車OKの国と聞いたことがあるが全てそうなのだろうか。(まさか~)。
会社(ビル)の駐車場らしきシーンは良くあるがその対比が極端だ。
・着飾った男女が、コート・オーバーを着たままで高級レストランの席に座っているシーン或はコート・オーバー姿で会議室に 座っているシーンが良くある。日本ならクロークでコート類は預けて席に着くのが普通だが。
・外出から帰った服装のままでベッドに座る、潜り込むシーンが良くある。
ベッドがソファー代わりのような使われ方をしているのだろうか。
ベッドに入る時、布団に入る時は外で着ていた服は脱いで寝間着・パジャマなどに着替えるのが日本では常識だが…。
日常の生活様式の違いと言ってしまえばそれまでだが、ひょっとするとこれはドラマだけの世界の事かと思ってしまう。
あくまでも「ドラマの話し」であるが、ドラマが全て架空の世界と言うわけでもないと思う。
・(個人の)家の中とか玄関・門などのシーンがあるが、駐車場が出て来ない。セレブらしい家の立派な門の前に車を停めて乗り 降りするシーンが良くあるが、駐車場らしき所は出てこない。個人宅にはないのだろうか。
路上駐車OKの国と聞いたことがあるが全てそうなのだろうか。(まさか~)。
会社(ビル)の駐車場らしきシーンは良くあるがその対比が極端だ。
・着飾った男女が、コート・オーバーを着たままで高級レストランの席に座っているシーン或はコート・オーバー姿で会議室に 座っているシーンが良くある。日本ならクロークでコート類は預けて席に着くのが普通だが。
・外出から帰った服装のままでベッドに座る、潜り込むシーンが良くある。
ベッドがソファー代わりのような使われ方をしているのだろうか。
ベッドに入る時、布団に入る時は外で着ていた服は脱いで寝間着・パジャマなどに着替えるのが日本では常識だが…。
日常の生活様式の違いと言ってしまえばそれまでだが、ひょっとするとこれはドラマだけの世界の事かと思ってしまう。
あくまでも「ドラマの話し」であるが、ドラマが全て架空の世界と言うわけでもないと思う。
第4話 ―花粉症―
この10年位、即ち70歳を過ぎた頃から花粉症に悩まされている。しかも年々ひどくなっている感じがする。この2~3年は花粉の発生状況が昨年より多いとか一昨年より少ないが例年より多いとか色々言われているが、症状で言うと一昨年より昨年、昨年より今年と症状がひどくなっているようである。花粉症は年を取ると共に罹りにくくなるとか、年々軽くなるとか言われるがトンでもない。重くなる一方である。今年は鼻詰まりがいつもより少しはましだが目の痒みはひどい。過去の検査結果では杉とヒノキに顕著に反応しており半年近く症状が続くのである。医者から貰う飲み薬と目薬の他に、甜茶(てんちゃ)が良いと言うので飲み出した。最初のうちは効いている感じで、「これは良い」と思っていたが、3月になってからは家の中に居ても鼻は詰まるし目は痒いし効き目があるのか分からなくなって来た。梅干しもアレルギーに良いと言うのでこれ迄もよく食べていたが毎日一粒多めに食べている。だが効いているかどうかわからない。朝起きると鼻は詰まり、喉はカラカラ、目はショボショボ。嗽(うがい)をして目を洗って目薬をさすと少し落ち着くが、程なくまた痒くなる。外に出ると当然のことだが目の痒みは強くなるので、半信半疑ながら花粉除け眼鏡を買った。正直殆ど期待してなかったが、思ったより効果がありそう。こんな調子で毎日花粉症と闘っている。
現役の頃、会社の同僚がティッシュの箱を片手に会議室に現れ、会議の間中鼻をかみかみ目を真っ赤にしていたのを横目に見て、「これが花粉症なんだ」と合点したことを想い出す。その頃の愚生はと言うと、元来鼻がいつも詰まり気味で毎年春になると鼻詰まりが少しひどくなり「また鼻風邪を引いた」程度には思っていたが、同僚のような花粉症とは全く縁がないと思っていた。しかしその頃から実は軽めの花粉症を患っていたのだと今になって改めて思わされた。それでも70才過ぎまで、いつもの鼻詰まりはあったが顕著な花粉症らしきものは知らずに過ごして来た。それが70歳を過ぎてから・・・一体何なんだろう。
住む場所が変わったわけでもなく、生活習慣が大きく変わったわけでもない。
強いて言えば今勤務している教養センターの周囲は我が家周辺よりは樹木が多く花粉が多いかも知れない。しかし我が家の隣にはフラワーセンターがあり樹木もそれなりにあるので余り差はないと思う。
花粉症の発症はよく抗体と言うコップに例えられる。コップの大きさ以上に水を注ぐと溢れる即ち抗体の限界以上に花粉に見舞われると症状が現れるのだと言う。愚生も今までギリギリのところで症状が出ないでいたのが、何かによってコップの水が溢れてしまったと言うことか。それとも抗体と言うコップが小さくなったとでも言うのか。何だか知らないが、鼻詰まりは苦しいし目は痒い。
早くこの憂鬱さから解放されたい。早く来い来い、夏よ来い。
(2019.3.15)
現役の頃、会社の同僚がティッシュの箱を片手に会議室に現れ、会議の間中鼻をかみかみ目を真っ赤にしていたのを横目に見て、「これが花粉症なんだ」と合点したことを想い出す。その頃の愚生はと言うと、元来鼻がいつも詰まり気味で毎年春になると鼻詰まりが少しひどくなり「また鼻風邪を引いた」程度には思っていたが、同僚のような花粉症とは全く縁がないと思っていた。しかしその頃から実は軽めの花粉症を患っていたのだと今になって改めて思わされた。それでも70才過ぎまで、いつもの鼻詰まりはあったが顕著な花粉症らしきものは知らずに過ごして来た。それが70歳を過ぎてから・・・一体何なんだろう。
住む場所が変わったわけでもなく、生活習慣が大きく変わったわけでもない。
強いて言えば今勤務している教養センターの周囲は我が家周辺よりは樹木が多く花粉が多いかも知れない。しかし我が家の隣にはフラワーセンターがあり樹木もそれなりにあるので余り差はないと思う。
花粉症の発症はよく抗体と言うコップに例えられる。コップの大きさ以上に水を注ぐと溢れる即ち抗体の限界以上に花粉に見舞われると症状が現れるのだと言う。愚生も今までギリギリのところで症状が出ないでいたのが、何かによってコップの水が溢れてしまったと言うことか。それとも抗体と言うコップが小さくなったとでも言うのか。何だか知らないが、鼻詰まりは苦しいし目は痒い。
早くこの憂鬱さから解放されたい。早く来い来い、夏よ来い。
(2019.3.15)
第5話 「世相」
昔‥「悪い奴ほどよく眠る」
今・・「悪い奴ほどすぐ寝込む」
今後(期待)・・「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」
最近のスポーツ界の各組織の頂点に位置する「〇△協会」の醜態ぶりは目に余る。
人生経験豊富で栄光も挫折も十分に経験して来た謂わば人生の大先輩と呼ばれて良い筈の大人(幹部)がパワハラ、採点のごまかし、その他色々な種類の疑惑で、みっともないことに未だ若い人生経験も少ない選手たちに訴えられている。
折しも北海道胆振東部地震で停電したスーパー・コンビニで列を作って買い物をしようとしている人たちのキチンとルールやマナーを守っている姿が報道された。これが世界中から評価を受けている日本人の姿である。この情景に対して、日本の先達と言うべき前述のスポーツ界のリーダー達(ほんの一部であって欲しいと切に願う)は何を感じているのだろう。(見てもいないかな。)
これら幹部の人達は一時(いっとき)強気の発言をしていると思う間もなく、入院だの自宅引きこもりだのと逃げ回ってしまう。自覚も節操も潔さも無いように思われる。人間として最も醜い姿を曝け出している。そんな思いすら持ち合わせていないだろう。このようなリーダー達にこのまま日本のスポーツ界を任せておくのは良くないと思う。
以上のことは、あくまでマスコミで報道されている事柄を前提にした思いであるが、事の良し悪しをキチンと整理して健全な方向に改善して行かなければならないと思うが、それを行うのは何処なのだろう。スポーツ庁と言うお役所があるが、あそこは何をやる所なのだろう。統制と言う言葉は好きでないが、管理・指導だけでは収まらない何かが必要な気がする。日常のチェック体制も含めて、然るべき所が強い且つ公正な権限を行使して是正して行かなければこの後も同じようなことが続出するような気がする。
口を開けば「ガバナンス」と言うが、ガバガバとボロを出している。
(2018.10)
今・・「悪い奴ほどすぐ寝込む」
今後(期待)・・「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」
最近のスポーツ界の各組織の頂点に位置する「〇△協会」の醜態ぶりは目に余る。
人生経験豊富で栄光も挫折も十分に経験して来た謂わば人生の大先輩と呼ばれて良い筈の大人(幹部)がパワハラ、採点のごまかし、その他色々な種類の疑惑で、みっともないことに未だ若い人生経験も少ない選手たちに訴えられている。
折しも北海道胆振東部地震で停電したスーパー・コンビニで列を作って買い物をしようとしている人たちのキチンとルールやマナーを守っている姿が報道された。これが世界中から評価を受けている日本人の姿である。この情景に対して、日本の先達と言うべき前述のスポーツ界のリーダー達(ほんの一部であって欲しいと切に願う)は何を感じているのだろう。(見てもいないかな。)
これら幹部の人達は一時(いっとき)強気の発言をしていると思う間もなく、入院だの自宅引きこもりだのと逃げ回ってしまう。自覚も節操も潔さも無いように思われる。人間として最も醜い姿を曝け出している。そんな思いすら持ち合わせていないだろう。このようなリーダー達にこのまま日本のスポーツ界を任せておくのは良くないと思う。
以上のことは、あくまでマスコミで報道されている事柄を前提にした思いであるが、事の良し悪しをキチンと整理して健全な方向に改善して行かなければならないと思うが、それを行うのは何処なのだろう。スポーツ庁と言うお役所があるが、あそこは何をやる所なのだろう。統制と言う言葉は好きでないが、管理・指導だけでは収まらない何かが必要な気がする。日常のチェック体制も含めて、然るべき所が強い且つ公正な権限を行使して是正して行かなければこの後も同じようなことが続出するような気がする。
口を開けば「ガバナンス」と言うが、ガバガバとボロを出している。
(2018.10)
第6話 「書き留めておきたくて」
・重土(おもつち)を 背に負いながら 世の中を からくもわたる人ぞ多かる
・この秋は 雨か嵐か 知らねども 今日の務めの草をとるかな
・今日ほめて 明日悪く言う 人の口 なくも笑うも うその世の中
・わらしこ(子供) ごしゃぐな(叱るな) 来た道だもの 年寄り 笑うな
いぐ(行く)道だもの
上の3句は郷里の実家で父親が額に入れて飾っていたものだが、上の2句は
祖父の作句と聞いた記憶がある(?)。 3番目は一休禅師の歌である。
一休禅師の歌には他にも味のある歌がある。いずれ書いてみたい。
4番目の句は子供のころ覚えた記憶があるが、詳細不明。
何となく心に残っている句で忘れられない。
(2018.10)
・この秋は 雨か嵐か 知らねども 今日の務めの草をとるかな
・今日ほめて 明日悪く言う 人の口 なくも笑うも うその世の中
・わらしこ(子供) ごしゃぐな(叱るな) 来た道だもの 年寄り 笑うな
いぐ(行く)道だもの
上の3句は郷里の実家で父親が額に入れて飾っていたものだが、上の2句は
祖父の作句と聞いた記憶がある(?)。 3番目は一休禅師の歌である。
一休禅師の歌には他にも味のある歌がある。いずれ書いてみたい。
4番目の句は子供のころ覚えた記憶があるが、詳細不明。
何となく心に残っている句で忘れられない。
(2018.10)
第7話 「コーラス、改めて歌詞の意味を知る」
音が取れない、今歌った音をすぐ忘れる、音符が読めない、だけど歌うことが好きでコーラスを続けている。そんな中で、昔歌った唱歌の歌詞の意味を今になって初めて知ったり、間違って理解していたことに気付くことがある。中には未だに理解できない歌詞(言葉)もあり、理解もせずに丸暗記で唄っていたんだなぁーと苦笑交じりに懐かしくも思う。
「埴生の宿」
「埴生の宿も 我が宿 玉の装い 羨(うらや)まじ… (以下略)」
「埴生の宿」とは土を塗って作った小屋、即ち貧しい小屋の意味だが、大人になってから辞書を引いて理解した。「玉の装い」とか2番の歌詞に出てくる「瑠璃の床」についても長ずるに及んで理解できた言葉だ。子供の頃は棒暗記で唄っていたと言うことだが、どんな気持ちで歌ってたのかは今想い出せない。
「早春賦」(2番)
「氷解け去り 葦は角ぐむ さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空 今日もきのうも 雪の空」
「角ぐむ」とは「草木の芽が角のように出てくる」意味だが、歌詞全体から何となく理解出来ていても、辞書を紐解くまで正確な意味など知らなかった。
「あやにく」とは「あいにく」(生憎。思ったのに意に反して)の意。これも調べて「あっ、そうか」と理解した。
「夏は来ぬ」
「卯の花の匂う垣根に…(以下略)」
「卯の花」とは垣根などに使われる空木(うつぎ)のことを言うらしいが、どんな木かいまだに知らない。多くの人は知っていると思うが。
豆腐のおからの意味もあることは大分前から知っていたが…。
他にも、今歌い直して或は歌詞を読み直して、改めて意味を知ることが多い。
そう言えば、「赤い靴」の「異人さんに連れられて行っちゃった」を「ひい爺さんに連れられて…」と覚えていたこともあったけ。 (2018.11)
「埴生の宿」
「埴生の宿も 我が宿 玉の装い 羨(うらや)まじ… (以下略)」
「埴生の宿」とは土を塗って作った小屋、即ち貧しい小屋の意味だが、大人になってから辞書を引いて理解した。「玉の装い」とか2番の歌詞に出てくる「瑠璃の床」についても長ずるに及んで理解できた言葉だ。子供の頃は棒暗記で唄っていたと言うことだが、どんな気持ちで歌ってたのかは今想い出せない。
「早春賦」(2番)
「氷解け去り 葦は角ぐむ さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空 今日もきのうも 雪の空」
「角ぐむ」とは「草木の芽が角のように出てくる」意味だが、歌詞全体から何となく理解出来ていても、辞書を紐解くまで正確な意味など知らなかった。
「あやにく」とは「あいにく」(生憎。思ったのに意に反して)の意。これも調べて「あっ、そうか」と理解した。
「夏は来ぬ」
「卯の花の匂う垣根に…(以下略)」
「卯の花」とは垣根などに使われる空木(うつぎ)のことを言うらしいが、どんな木かいまだに知らない。多くの人は知っていると思うが。
豆腐のおからの意味もあることは大分前から知っていたが…。
他にも、今歌い直して或は歌詞を読み直して、改めて意味を知ることが多い。
そう言えば、「赤い靴」の「異人さんに連れられて行っちゃった」を「ひい爺さんに連れられて…」と覚えていたこともあったけ。 (2018.11)
第8話 「夏の風呂上り」
タオル1枚を下半身に巻いて、暫くエアコンの風で火照った体を冷やしている瞬間が至福の時。
ところが テレビを見ながらと思い椅子に座っていると、お尻に汗をかいてむず痒くなって来る。折角の至福の時に極めて不快になる。
そこで立ったままお尻を扇風機に当てて乾かしてから座ろうとするのだが、タイミングが難しい。早いと未だ汗をかくし、遅いと体が冷えてしまう。
頃合いを見てパンツを着けパジャマに着換えるのだが、これも冷え過ぎないようにするタイミングが難しい。汗も引けて且つ体の冷え切らない時を見計らって着替えると言う微妙なタイミングに賭ける。
なんとも馬鹿々々しいことをやっているのだが、現役時代の、帰宅したら「飯、風呂、寝る」だけの頃には考えられなかったジジィの暇つぶしである。
喜寿の夏 刻(とき)は ゆるりと過ぎて行く (2018.7)
ところが テレビを見ながらと思い椅子に座っていると、お尻に汗をかいてむず痒くなって来る。折角の至福の時に極めて不快になる。
そこで立ったままお尻を扇風機に当てて乾かしてから座ろうとするのだが、タイミングが難しい。早いと未だ汗をかくし、遅いと体が冷えてしまう。
頃合いを見てパンツを着けパジャマに着換えるのだが、これも冷え過ぎないようにするタイミングが難しい。汗も引けて且つ体の冷え切らない時を見計らって着替えると言う微妙なタイミングに賭ける。
なんとも馬鹿々々しいことをやっているのだが、現役時代の、帰宅したら「飯、風呂、寝る」だけの頃には考えられなかったジジィの暇つぶしである。
喜寿の夏 刻(とき)は ゆるりと過ぎて行く (2018.7)
第10話 「キノコの話」
スーパーでキノコは単独の品種毎に売られている。シイタケ、シメジ、エノキ、マツタケなどなど。食べる時は何種類かを一緒にすることもあるが、名前の知れているものだけである
子供の頃、母の手伝い(荷物持ち)で朝市でよく雑キノコを買った。農家の人が山に入って採って来た天然のキノコで、種類は数知れない。前述のキノコを含めて(マツタケは昔も高級品だったので入ってないが)アミコ、ハツタケ、何々、何々、なんだか名前も知らないものもごちゃ混ぜ…。採ったまま種類の選別もせず桶に一緒くたになって入っていて、それを「何杯ちょうだい」と言ってしゃもじですくって貰う。表面がぬるぬるのキノコも多かった。当時はビニール袋などなく新聞紙にくるんで貰うのだが、家に帰りつく頃には新聞紙はびしょびしょに濡れてしまっていたとの記憶がある。味噌汁に入れたり、煮物にしたりで色々なキノコの美味しい味がした。すっかり忘れてしまっていたが、それが「キノコ」に対するイメージの一つであった。
そんな中で、「雑キノコ」にはせず別売りのものもあった。
一つは「きりたんぽ」に欠かせない「マイタケ」。今スーパーなどで売っている「マイタケ」は人工栽培ものであるが、漢字で「舞茸」と書き、天然物は昔の秋田でも貴重品だった。当然高価だった。このキノコは人工栽培の成功まで困難があったようだが、昭和40年代の中頃だったろうか、倉庫会社の倉庫を利用して栽培に成功し販売されたとの記憶がある。勤務していた会社の運動会で宣伝のために実演試食会を催したことがあった。横浜市鶴見区の大黒埠頭の近くの倉庫会社だったと思う。その「舞茸」、昔朝市で見た形は大きかった。両手で抱えるくらいの大きさだった。その貴重品がスーパーで手ごろな大きさと手ごろな値段で買えるようになって久しい。「マイタケ」を見る度に昔見たあの大きな「舞茸」そしてあの頃の朝市の風景を想い出す。隔世の感あり。マツタケの人工栽培は未だに成功していない。
もう一つは「スギヒラタケ」と言うキノコの事である。これも子供の頃朝市で「スギキノコ」の名前で「雑キノコ」とは別にして売っていた。杉の倒木に生える真っ白で丸い薄い形(直径3㎝位の丸い真っ白な煎餅と思えば良い)をしていて、みそ汁やお吸い物に入れて食べていた。色や形のせいもあって、淡白で繊細な味だったと記憶している。その「スギヒラタケ」が、今では毒キノコに指定されている。「食べるな」と厚生労働省が指導(推奨)している。急性の脳症を発症するのだと言う。それも最近(平成16年頃)になっての指定である。未だ分からない所もあるらしい。いやはや…。(よく今まで生きていたな!!)
※朝市;秋田県五城目町の「五城目朝市」。500年以上古い昔から続いていると言う街頭朝市。子供の頃は二と七のつく日が下町、五と十のつく日が上町で開かれた(今は下町のみとか)。ツアーも組まれる有名な朝市。(2018.11.28)
子供の頃、母の手伝い(荷物持ち)で朝市でよく雑キノコを買った。農家の人が山に入って採って来た天然のキノコで、種類は数知れない。前述のキノコを含めて(マツタケは昔も高級品だったので入ってないが)アミコ、ハツタケ、何々、何々、なんだか名前も知らないものもごちゃ混ぜ…。採ったまま種類の選別もせず桶に一緒くたになって入っていて、それを「何杯ちょうだい」と言ってしゃもじですくって貰う。表面がぬるぬるのキノコも多かった。当時はビニール袋などなく新聞紙にくるんで貰うのだが、家に帰りつく頃には新聞紙はびしょびしょに濡れてしまっていたとの記憶がある。味噌汁に入れたり、煮物にしたりで色々なキノコの美味しい味がした。すっかり忘れてしまっていたが、それが「キノコ」に対するイメージの一つであった。
そんな中で、「雑キノコ」にはせず別売りのものもあった。
一つは「きりたんぽ」に欠かせない「マイタケ」。今スーパーなどで売っている「マイタケ」は人工栽培ものであるが、漢字で「舞茸」と書き、天然物は昔の秋田でも貴重品だった。当然高価だった。このキノコは人工栽培の成功まで困難があったようだが、昭和40年代の中頃だったろうか、倉庫会社の倉庫を利用して栽培に成功し販売されたとの記憶がある。勤務していた会社の運動会で宣伝のために実演試食会を催したことがあった。横浜市鶴見区の大黒埠頭の近くの倉庫会社だったと思う。その「舞茸」、昔朝市で見た形は大きかった。両手で抱えるくらいの大きさだった。その貴重品がスーパーで手ごろな大きさと手ごろな値段で買えるようになって久しい。「マイタケ」を見る度に昔見たあの大きな「舞茸」そしてあの頃の朝市の風景を想い出す。隔世の感あり。マツタケの人工栽培は未だに成功していない。
もう一つは「スギヒラタケ」と言うキノコの事である。これも子供の頃朝市で「スギキノコ」の名前で「雑キノコ」とは別にして売っていた。杉の倒木に生える真っ白で丸い薄い形(直径3㎝位の丸い真っ白な煎餅と思えば良い)をしていて、みそ汁やお吸い物に入れて食べていた。色や形のせいもあって、淡白で繊細な味だったと記憶している。その「スギヒラタケ」が、今では毒キノコに指定されている。「食べるな」と厚生労働省が指導(推奨)している。急性の脳症を発症するのだと言う。それも最近(平成16年頃)になっての指定である。未だ分からない所もあるらしい。いやはや…。(よく今まで生きていたな!!)
※朝市;秋田県五城目町の「五城目朝市」。500年以上古い昔から続いていると言う街頭朝市。子供の頃は二と七のつく日が下町、五と十のつく日が上町で開かれた(今は下町のみとか)。ツアーも組まれる有名な朝市。(2018.11.28)
第11話 「風疹流行の兆し。30代~50代の男性は加害者か?」
2018年10月15日の8チャンネルテレビで今年は風疹が流行していて、妊婦が罹った場合お腹の子が大きな病気になる可能性を報じていた。そして関連して、30代~50代の男性が風疹に罹っていると空気感染で近くにいる妊婦に感染する可能性について言及していた。「該当世代の男性が加害者」との報道である。該当する男性は、男性だからという理由でワクチンの予防接種をしていない(免除)のだと言う。
愚性は医学の知識もないし、予防接種の規程も(昔子供の小さかった頃は多少知っていたと思うが)覚えていないので、「妊婦は以前に予防接種をしていても、お腹の子供は風疹に感染する」と単純に理解した。
ところがそうではなく、「妊婦が以前に予防接種をしていれば、お腹の子供にも感染しない」即ち「妊婦が以前予防接種をしていない場合にお腹の子供に感染する」のだそうだ。この場合「何らかの理由で予防接種をしなかった女性に原因はないのか」という疑問が生ずる。「予防接種をしなくて良いとされた、30代~50代の男性が加害者である」と説く前に「女性の風疹ワクチンの予防接種のあり方(現在は任意)」を先ず取り上げるべきでないのか。
子供の将来に係わる重大なことだけに妙に引っかかった。
愚生の理解が間違っていれば是非お教え戴きたい。 (2018.10.15)
愚性は医学の知識もないし、予防接種の規程も(昔子供の小さかった頃は多少知っていたと思うが)覚えていないので、「妊婦は以前に予防接種をしていても、お腹の子供は風疹に感染する」と単純に理解した。
ところがそうではなく、「妊婦が以前に予防接種をしていれば、お腹の子供にも感染しない」即ち「妊婦が以前予防接種をしていない場合にお腹の子供に感染する」のだそうだ。この場合「何らかの理由で予防接種をしなかった女性に原因はないのか」という疑問が生ずる。「予防接種をしなくて良いとされた、30代~50代の男性が加害者である」と説く前に「女性の風疹ワクチンの予防接種のあり方(現在は任意)」を先ず取り上げるべきでないのか。
子供の将来に係わる重大なことだけに妙に引っかかった。
愚生の理解が間違っていれば是非お教え戴きたい。 (2018.10.15)
第12話 「辰年元旦の朝 上り龍を見た」
「辰年の元旦の朝、南西の空に昇龍を見た。勢い良く天空に上って行く龍である。表現がオーバーになったがまさしく龍を思わせる一条の雲を見たのである。
午前9時頃だったと思うが、ベランダに出ていた妻が≪龍だ!≫と大きな声を出して私を呼んだ、ベランダから仰いだ空に、飛行機雲の幅広くなったような形で、なのに飛行機雲のように長くは続いてなくて、しかも?状に将に上空に上って行くような雲があった。他に雲は少なく、青い空を背景にして、辰年を誇示するように勇壮な形を見せていた。その後間もなく(写真を撮る間もなく)霧散してしまった。元旦の朝の一幕のドラマだった。」
辰年の龍の形の雲、それも元旦の朝。偶然の出来事だが、妙に記憶に残っている。 (2019.1)
午前9時頃だったと思うが、ベランダに出ていた妻が≪龍だ!≫と大きな声を出して私を呼んだ、ベランダから仰いだ空に、飛行機雲の幅広くなったような形で、なのに飛行機雲のように長くは続いてなくて、しかも?状に将に上空に上って行くような雲があった。他に雲は少なく、青い空を背景にして、辰年を誇示するように勇壮な形を見せていた。その後間もなく(写真を撮る間もなく)霧散してしまった。元旦の朝の一幕のドラマだった。」
辰年の龍の形の雲、それも元旦の朝。偶然の出来事だが、妙に記憶に残っている。 (2019.1)
第13話 「ホワイトアウト・吹雪の怖さ」
北海道胆振東部地震で言われたブラックアウトは人工の設備(インフラ)の故障によるものであるが、ホワイトアウトは台風と同じ自然現象である。
そのホワイトアウト現象についてテレビなどの報道は単に「視界」の事だけを取り上げているが、それだけでなく、吹雪の音で他の音は何も聞こえないと言う怖さも伴っている。秋田に住んでいた子供時代のことだが、吹雪の中、警報器も遮断機もない踏切を渡っていて列車が近づいていることに気付かずに轢かれてしまったと言う事故を何度か聞いた記憶もある。当時は蒸気機関車であったが、相当大きい音を出す機関車の音も聞えず、吹雪で視界が遮られて普段なら遠くから見える照明もわからなかったのだと思う。
秋田はコメどころである。広大な秋田平野を南北に奥羽本線の線路が走っていて、そこを走る列車から見えるのは果てしなく続く田んぼばかりと言うのが代表的な風景の一つであった。そんな中で吹雪に遭ったら、真昼でも周囲が何も見えず音も聞こえず、自分が今どこにいるか分からなくなるのだと思う。
登山中霧や吹雪などで遭難した人は、方向感覚を失って、結果的に山小屋の直ぐ近くをぐるぐる歩き回っていたと言う話を聞いたことがあるが、それに似ているのだと思う。
愚生は街中(まちなか)に住んでいたので日常は前述のような経験は殆どなかったが、それでも街中の吹雪でも目を開けていられないので下を向いて歩いていて道を間違えたりした。家に帰って来た時オーバーの生地の中に食い込んだ雪は手で掃う(はらう)程度では取れないので箒(ほうき)を使って叩いて払い落として貰った。手袋をしていても手はかじかんで硬直し、ストーブの近くかお湯で暫く温めていたし、戦後間もなくの小学校低学年の頃は長靴などの履物もなく、足袋に下駄履きで通学していて「しもやけ」になった記憶もある。
吹雪は横殴りか下から吹き上げて来る。見えない、聞こえない、露出している肌は痛い、寒い。そんな経験から、広大な田野でひどい吹雪に会えば、方向感覚まで麻痺させてしまうことは想像に難くない。
「しんしんと雪降り積もる」の表現のように音もなく雪が降る夜もあった。そんな時は外に出てみると暖かい感じがした。雪で作った「かまくら」の中のような・・・。
どちらも雪と言う気象現象であるが、余りに違う自然界の姿である。(2018.12.1.)
そのホワイトアウト現象についてテレビなどの報道は単に「視界」の事だけを取り上げているが、それだけでなく、吹雪の音で他の音は何も聞こえないと言う怖さも伴っている。秋田に住んでいた子供時代のことだが、吹雪の中、警報器も遮断機もない踏切を渡っていて列車が近づいていることに気付かずに轢かれてしまったと言う事故を何度か聞いた記憶もある。当時は蒸気機関車であったが、相当大きい音を出す機関車の音も聞えず、吹雪で視界が遮られて普段なら遠くから見える照明もわからなかったのだと思う。
秋田はコメどころである。広大な秋田平野を南北に奥羽本線の線路が走っていて、そこを走る列車から見えるのは果てしなく続く田んぼばかりと言うのが代表的な風景の一つであった。そんな中で吹雪に遭ったら、真昼でも周囲が何も見えず音も聞こえず、自分が今どこにいるか分からなくなるのだと思う。
登山中霧や吹雪などで遭難した人は、方向感覚を失って、結果的に山小屋の直ぐ近くをぐるぐる歩き回っていたと言う話を聞いたことがあるが、それに似ているのだと思う。
愚生は街中(まちなか)に住んでいたので日常は前述のような経験は殆どなかったが、それでも街中の吹雪でも目を開けていられないので下を向いて歩いていて道を間違えたりした。家に帰って来た時オーバーの生地の中に食い込んだ雪は手で掃う(はらう)程度では取れないので箒(ほうき)を使って叩いて払い落として貰った。手袋をしていても手はかじかんで硬直し、ストーブの近くかお湯で暫く温めていたし、戦後間もなくの小学校低学年の頃は長靴などの履物もなく、足袋に下駄履きで通学していて「しもやけ」になった記憶もある。
吹雪は横殴りか下から吹き上げて来る。見えない、聞こえない、露出している肌は痛い、寒い。そんな経験から、広大な田野でひどい吹雪に会えば、方向感覚まで麻痺させてしまうことは想像に難くない。
「しんしんと雪降り積もる」の表現のように音もなく雪が降る夜もあった。そんな時は外に出てみると暖かい感じがした。雪で作った「かまくら」の中のような・・・。
どちらも雪と言う気象現象であるが、余りに違う自然界の姿である。(2018.12.1.)
第14話 「身分証明書について」
55年以上前に取得した自動車運転免許証(以下免許証)を返納した。そして運転履歴証明書の交付を申請した。もう少し車を乗り回ましたい気持ちを今も捨てきれないでいるが、己れの運転経歴を誇れる形で終わろうと踏ん切りをつけ、3年前に車を捨てそして今回免許証を返納した。ところが、免許証がなくなって困るだろうと真っ先に考えたのが身分証明書のことである。これまで身分の証明にはほぼ免許証を使用して来た。それに代わるものが必要になるので当然のように運転履歴証明書の交付を申請したのである。よく考えてみればおかしな話である。何も運転履歴証明書に頼らなくても国が発行しているマイナンバーカードが立派な身分証明書として存在する。ところが、そうは行かないので交付申請をするしかなかった。実はマイナンバーカードの手続き案内があってすぐ取得し、ある店で提示したところ、「これはだめです。他の証明書をお願いします。」と言われた。理由を問うと、その店では身分証明書の両面をコピーして書類に添付することになっていて、マイナンバーカードだと個人のナンバーもコピーする(知られる)ことになるからとのこと。他の証明書と言うと免許証かパスポートか健康保険証になるが、本来なら国が発行する身分証明書としてもっとも権威(?)がある筈のパスポートも、場合によっては使えない。健康保険証は写真がないので使いたくないし、結局免許証しかないことになる。と言うよりも身分証明書イコール免許証みたいになってしまっているのである。
理屈っぽくなるが、この免許証は国ではなく都道府県の公安委員会が発行しているものでしかも資格証明書であって、身分証明書としては国(外務省)が発行するパスポートより形式上の権威(?)は下の筈である。その免許証が現実には身分証明書としてもパスポートより格(権威、実用性)が上みたいになっており、返納すると必然的にそれに代わる身分証明書が必要になり運転履歴証明書の交付につながってしまう。一生使えると言うけれど、写真代と交付代(証紙代)で2100円払った。話ついでにパスポートだって取得には相当な費用が掛かる。マイナンバーカードも最初は無料だったけど更新する時は有料になる筈。免許証は県の公安委員会(事務方の総元締めは実は警察庁)、マイナンバーカードは市町村長(実質は総務省管轄)、そしてパスポートは外務省と管轄が違うが同じ国の行政機関である。その同じ国の三つの行政機関が三重の仕組み(すなわち手数料等の三重取り)を知っていながら堂々と施行しているのでないかと勘ぐりたくなる。
理屈っぽくなるが、この免許証は国ではなく都道府県の公安委員会が発行しているものでしかも資格証明書であって、身分証明書としては国(外務省)が発行するパスポートより形式上の権威(?)は下の筈である。その免許証が現実には身分証明書としてもパスポートより格(権威、実用性)が上みたいになっており、返納すると必然的にそれに代わる身分証明書が必要になり運転履歴証明書の交付につながってしまう。一生使えると言うけれど、写真代と交付代(証紙代)で2100円払った。話ついでにパスポートだって取得には相当な費用が掛かる。マイナンバーカードも最初は無料だったけど更新する時は有料になる筈。免許証は県の公安委員会(事務方の総元締めは実は警察庁)、マイナンバーカードは市町村長(実質は総務省管轄)、そしてパスポートは外務省と管轄が違うが同じ国の行政機関である。その同じ国の三つの行政機関が三重の仕組み(すなわち手数料等の三重取り)を知っていながら堂々と施行しているのでないかと勘ぐりたくなる。
第14話 「身分証明書について」後編
更に言うなら、運転履歴証明書の出来た背景として、免許証が身分証明証の代名詞のように多く利用されている実情から返納後もこれに代わるものが必要との判断があったらしい。まさに二重、三重の行政である。本来ならば、マイナンバーカードこそ身分証明書として国民全員が所持するものであり、免許証より前に定着すべきだった筈のものだ。日本は島国でヨーロッパのように他国と陸続きになっていない(国と国との間の人の往来が頻繁でなかった)から、身分証明の考え(制度)が発達しなかったと考える。マイナンバーカードの制度は実施するからにはパスポートとの一本化などを考えるべきだったのでないか。国内でパスポートは使えない(ケースがある)し、外国ではマイナンバーカードは使えない。国内用、海外用の二重の身分証明の仕組みになっている(くどいが国民は二重の費用負担をすることになる)。この現実をどう考えるのか。
マイナンバー制度は普及が遅れていて取得率は1~2割と言われており、総務省は促進を図るため健康保険証との併用も検討していると言うが、真に身分証明書として定着させ、更に、国の都合・思惑だけでなく例えば一寸した追加手続きでパスポートにもなるような、我々が「持つことで便利だ」、「あった方が大変良い」と思えるもの(制度)に育てて欲しいものである。今からでも遅くない。再検討して欲しい。そうすることこそが仕組み(行政)の単純化・一本化であり、グローバル化・国際化に?がるものだろう。
そして、改善するのは良いが、かっての住民基本台帳&カードのような「廃止」などは二度と繰り返さないで欲しい。 (2019.1.14)
(2019.1.14)
〈追記〉最近の報道で、マイナンバーカードをキャッシュレスカード化し、「5,000円」の還元を行うとの政府案が取沙汰されているが、一時的な「馬の鼻面に人参」的な政策でなく、長い将来を見据えた恒久的な施策を打って欲しいと考える。副総理の「あんなものは昔から必要ないと言っている」発言には唖然とするしかない。 (2019.11.21)
〈追記その2〉マイナンバーカードの電子証明書の更新手続きの案内が来て、初めて更新手数料が無料であることを知った。取得した頃の関係資料では手数料の事は、「初回は無料」(平成28年政府広報)としか記載されておらず、その頃のマイナンバーに関する講習会でも更新時は有料との見解が示されていたと記憶している。無料と言っても、マイナンバーカードの更新時は6か月以内撮影の顔写真が必要なのでやはり費用は掛かる。
(2019.12.20)
マイナンバー制度は普及が遅れていて取得率は1~2割と言われており、総務省は促進を図るため健康保険証との併用も検討していると言うが、真に身分証明書として定着させ、更に、国の都合・思惑だけでなく例えば一寸した追加手続きでパスポートにもなるような、我々が「持つことで便利だ」、「あった方が大変良い」と思えるもの(制度)に育てて欲しいものである。今からでも遅くない。再検討して欲しい。そうすることこそが仕組み(行政)の単純化・一本化であり、グローバル化・国際化に?がるものだろう。
そして、改善するのは良いが、かっての住民基本台帳&カードのような「廃止」などは二度と繰り返さないで欲しい。 (2019.1.14)
(2019.1.14)
〈追記〉最近の報道で、マイナンバーカードをキャッシュレスカード化し、「5,000円」の還元を行うとの政府案が取沙汰されているが、一時的な「馬の鼻面に人参」的な政策でなく、長い将来を見据えた恒久的な施策を打って欲しいと考える。副総理の「あんなものは昔から必要ないと言っている」発言には唖然とするしかない。 (2019.11.21)
〈追記その2〉マイナンバーカードの電子証明書の更新手続きの案内が来て、初めて更新手数料が無料であることを知った。取得した頃の関係資料では手数料の事は、「初回は無料」(平成28年政府広報)としか記載されておらず、その頃のマイナンバーに関する講習会でも更新時は有料との見解が示されていたと記憶している。無料と言っても、マイナンバーカードの更新時は6か月以内撮影の顔写真が必要なのでやはり費用は掛かる。
(2019.12.20)
第15話 「便利なものに落とし穴」
≪パソコンなどの変換間違い≫
ひらがなを入力して「変換」キィーを押すと漢字に変わる。便利である。でもうっかりすると他の変換語を選択してしまうことが多い。年賀状の宛先や名前が何年も間違っていて、ついに「私の名前は〇〇です」と名前の漢字違い(変換違い)を指摘された年賀状を貰ってしまったこともある。毎年,賀状を貰うたびに見直しをしているのだが、思い込みが先にあるため、見直していながら見過ごしてしまう。いや見過ごしているのでなく、これはこの字だなと頭では理解していながら、変換の時は別の字を選択しているのである。先入観の怖さ・・・。ひょっとすると、ボケのせいかも。
スマホのメールやラインの変換間違いも多い。以下知人のAさん家族の話。
娘が都内で一人暮らしをしていて母親が毎日モーニングコールをしている。或る日電話が繋がらなかった。何かあったのかと父親も一緒に何度もコールしたらしい。少し経って、娘からラインが来た。「男をとめていた。ゴメン。」・・・。
驚いた。(娘はそのまま仕事に行ったので)夜になって聞いた答えが「昨日映画に行った時から音を止めていた(マナーモードにしていた)。 朝自分で目覚めて急いで出勤の途中、送ったラインが変換の間違いで、“音”が“男”になった」だった。
笑い話で済むことなら良いが、取り返しのつかない事にもなりかねない。気を付けよう。
≪スイカカード≫
いちいち切符を買ったり、バスを降りる時小銭を出す手間が省けて非常に便利。但しチャージを忘れて、「残高が不足しています」のアナウンスを頂戴することが多い。使用した時、残高を見ていないのである。言われて初めて気づくことが多い。
≪オートロックのドア≫
外に出る時鍵を掛ける手間がいらないのは便利だが、うっかり鍵を持たずに出ると大変なことになる。愚生のマンションは建物全体の出入り口の施錠はなく、我が家の玄関ドアはオートロック式でないので、一寸出てすぐ戻る時カギを持つ習慣が出来ていない。オートロック式になっている娘の住むマンションに孫の世話で良く行くが、最初の頃は一寸した用足しで屋外に出る時うっかりカギを忘れ、戻る時に入れないと言う失敗を経験したことがある。
ビジネスホテルなども部屋がオートロック式ドアになっていることが良くあるが、パジャマ姿で鍵やキィーカ―ドを持たずに廊下の自販機に物を買いに出て締め出しを食らった話をよく聞く(幸い愚生は経験ないが…)。
(2018.作成日不明)
ひらがなを入力して「変換」キィーを押すと漢字に変わる。便利である。でもうっかりすると他の変換語を選択してしまうことが多い。年賀状の宛先や名前が何年も間違っていて、ついに「私の名前は〇〇です」と名前の漢字違い(変換違い)を指摘された年賀状を貰ってしまったこともある。毎年,賀状を貰うたびに見直しをしているのだが、思い込みが先にあるため、見直していながら見過ごしてしまう。いや見過ごしているのでなく、これはこの字だなと頭では理解していながら、変換の時は別の字を選択しているのである。先入観の怖さ・・・。ひょっとすると、ボケのせいかも。
スマホのメールやラインの変換間違いも多い。以下知人のAさん家族の話。
娘が都内で一人暮らしをしていて母親が毎日モーニングコールをしている。或る日電話が繋がらなかった。何かあったのかと父親も一緒に何度もコールしたらしい。少し経って、娘からラインが来た。「男をとめていた。ゴメン。」・・・。
驚いた。(娘はそのまま仕事に行ったので)夜になって聞いた答えが「昨日映画に行った時から音を止めていた(マナーモードにしていた)。 朝自分で目覚めて急いで出勤の途中、送ったラインが変換の間違いで、“音”が“男”になった」だった。
笑い話で済むことなら良いが、取り返しのつかない事にもなりかねない。気を付けよう。
≪スイカカード≫
いちいち切符を買ったり、バスを降りる時小銭を出す手間が省けて非常に便利。但しチャージを忘れて、「残高が不足しています」のアナウンスを頂戴することが多い。使用した時、残高を見ていないのである。言われて初めて気づくことが多い。
≪オートロックのドア≫
外に出る時鍵を掛ける手間がいらないのは便利だが、うっかり鍵を持たずに出ると大変なことになる。愚生のマンションは建物全体の出入り口の施錠はなく、我が家の玄関ドアはオートロック式でないので、一寸出てすぐ戻る時カギを持つ習慣が出来ていない。オートロック式になっている娘の住むマンションに孫の世話で良く行くが、最初の頃は一寸した用足しで屋外に出る時うっかりカギを忘れ、戻る時に入れないと言う失敗を経験したことがある。
ビジネスホテルなども部屋がオートロック式ドアになっていることが良くあるが、パジャマ姿で鍵やキィーカ―ドを持たずに廊下の自販機に物を買いに出て締め出しを食らった話をよく聞く(幸い愚生は経験ないが…)。
(2018.作成日不明)
第16話 「オリンピック、参加することの意義とは?」前編
東京オリンピックも近い。誰しも日本選手の活躍を期待する。参加するだけでなくメダルは取って欲しいと思う。少なくとも、オリンピックの精神が「参加することに意義がある」であるなら、参加する意義のある選手を参加させて欲しい。「欠場」とか試合の途中で棄権して、後になって「試合に出る前から故障していた」、「試合に出られる状態ではなかった」などと言うことはあって欲しくないと思う。
北京オリンピックの年の1月に愚生は現役を引退し、5月頃シルバー人材センターに入会した。未だ仕事も決まっておらずと言うかこの年だけはオリンピックの実況中継を全部観戦しようと決めていたので7、8月はテレビに噛り付いていた。そこで色々な種目の多くの試合で「欠場」、「途中棄権」、「何もする事無く判定負け」等々の「不戦敗」と言いたい試合或いは「不戦敗に近い」と言っても過言でない試合を多く見た。そして、大会期間中は元よりオリンピックが終わってからも強く感じたのは、代表選手・コーチ・関係者は本番までの体調とか故障の状況をもっとオープンに公正に把握・報告して、故障や不調の選手は補欠で選ばれている選手と潔く交代をすることがあっても良いのでないかと言うことである。その思いを当時「雑感」に残した。その要約は以下である。
北京オリンピック―不戦敗の思い強く― 2008.8.26
今回の代表選手団の団長は、野球の代表チームとマラソン選手の特別扱いに対し異例の苦言を呈した。確かに扱いが異常だった。JOCが各競技の代表団を十分統率出来ていなかったことを物語っている。
≪野球≫
H監督と仲良しグループと揶揄されたコーチ陣を擁し、鳴り物入りで北京入りし、“強いものは勝つ”筈だった「最強メンバー」は無残な敗北に終わり、後に「怪我をしている選手、不調の選手をそのまま参加させたことによる」との弁解だけが残った。一度選んだ選手は変えられないのか、疑念のみが残った。戦う前から負けていたと思う。
≪マラソン≫
女子のN選手が欠場。金メダルの最有力候補だった。加えて、もう少し発表が早ければ補欠のM選手を出場させられたのでないかとの報道もあった。そしてT選手は、出場したが、途中で棄権。これも「後になって」の話だが外反母趾で殆ど走れる状態でなかった、更に1ヶ月以上も前から疲労骨折で練習も出来なかったとの情報も出た。まさに不戦敗。何故交代は出来なかったのかの疑念が強く残った。
男子のO選手の欠場。北京行きの前から走れる状態でなかったと言う。様子を見て走らせるつもりだったと言うコーチ(専門家だよ!)の見解に怒りを覚えた。そして、S選手は最下位のゴール。敢闘は称賛に値するが、コーチ陣は体調を見抜けなかったのか。ケニアだったと思うが、直前に男子マラソン選手を交代させた例もあったと言う。試合したと言えるのか。否である。皆不戦敗である。
≪サッカー≫
U23より明らかに経験豊富なOA枠を行使せずに出場し、唯参加するだけの結果で終わった。第3戦に至っては監督の指示も無視して選手独自による戦術で試合をしたとの情報もあった。戦略の失敗であり戦う前から負けていたと言われてもしょうがないだろう。
北京オリンピックの年の1月に愚生は現役を引退し、5月頃シルバー人材センターに入会した。未だ仕事も決まっておらずと言うかこの年だけはオリンピックの実況中継を全部観戦しようと決めていたので7、8月はテレビに噛り付いていた。そこで色々な種目の多くの試合で「欠場」、「途中棄権」、「何もする事無く判定負け」等々の「不戦敗」と言いたい試合或いは「不戦敗に近い」と言っても過言でない試合を多く見た。そして、大会期間中は元よりオリンピックが終わってからも強く感じたのは、代表選手・コーチ・関係者は本番までの体調とか故障の状況をもっとオープンに公正に把握・報告して、故障や不調の選手は補欠で選ばれている選手と潔く交代をすることがあっても良いのでないかと言うことである。その思いを当時「雑感」に残した。その要約は以下である。
北京オリンピック―不戦敗の思い強く― 2008.8.26
今回の代表選手団の団長は、野球の代表チームとマラソン選手の特別扱いに対し異例の苦言を呈した。確かに扱いが異常だった。JOCが各競技の代表団を十分統率出来ていなかったことを物語っている。
≪野球≫
H監督と仲良しグループと揶揄されたコーチ陣を擁し、鳴り物入りで北京入りし、“強いものは勝つ”筈だった「最強メンバー」は無残な敗北に終わり、後に「怪我をしている選手、不調の選手をそのまま参加させたことによる」との弁解だけが残った。一度選んだ選手は変えられないのか、疑念のみが残った。戦う前から負けていたと思う。
≪マラソン≫
女子のN選手が欠場。金メダルの最有力候補だった。加えて、もう少し発表が早ければ補欠のM選手を出場させられたのでないかとの報道もあった。そしてT選手は、出場したが、途中で棄権。これも「後になって」の話だが外反母趾で殆ど走れる状態でなかった、更に1ヶ月以上も前から疲労骨折で練習も出来なかったとの情報も出た。まさに不戦敗。何故交代は出来なかったのかの疑念が強く残った。
男子のO選手の欠場。北京行きの前から走れる状態でなかったと言う。様子を見て走らせるつもりだったと言うコーチ(専門家だよ!)の見解に怒りを覚えた。そして、S選手は最下位のゴール。敢闘は称賛に値するが、コーチ陣は体調を見抜けなかったのか。ケニアだったと思うが、直前に男子マラソン選手を交代させた例もあったと言う。試合したと言えるのか。否である。皆不戦敗である。
≪サッカー≫
U23より明らかに経験豊富なOA枠を行使せずに出場し、唯参加するだけの結果で終わった。第3戦に至っては監督の指示も無視して選手独自による戦術で試合をしたとの情報もあった。戦略の失敗であり戦う前から負けていたと言われてもしょうがないだろう。
第16話 「オリンピック、参加することの意義とは?」中編
≪陸上≫
怪我を押して出場したT選手、K選手(中略)。結果は推して知るべし。
≪競泳≫
S選手。400M自由形で不調が明らかになった時、報道陣は800Mがメインだから…などと極めて無責任なことしか言わず、何が原因かには一切触れなかったことにも腹が立つが、前回のアテネ五輪の金メダリストにあんな無残な負け方を2回もさせなければならなかったのか。関係者は代表選考後の練習・調整の段階で必ずや何かの変調に気付いていたのではないか。コーチ陣も含めて戦う前から負けていたとしか思えない。本当に代表選手は交代出来なかったものか。
怪我を押して出場したT選手、K選手(中略)。結果は推して知るべし。
≪競泳≫
S選手。400M自由形で不調が明らかになった時、報道陣は800Mがメインだから…などと極めて無責任なことしか言わず、何が原因かには一切触れなかったことにも腹が立つが、前回のアテネ五輪の金メダリストにあんな無残な負け方を2回もさせなければならなかったのか。関係者は代表選考後の練習・調整の段階で必ずや何かの変調に気付いていたのではないか。コーチ陣も含めて戦う前から負けていたとしか思えない。本当に代表選手は交代出来なかったものか。
第16話 「オリンピック、参加することの意義とは?」後編
≪柔道≫
女子48㎏級・T選手。銅メダルは流石であったが、準決勝では何も戦っていない。戦っていないことに対する「指導」のポイント差だけで負けた。戦い方を知り尽くしたT選手なら、攻勢に出て「指導」を避けることが出来た筈である。「指導」が出ても「双方(おあいこ)」に出るとの思い(油断)があったのでないか。
男子90kg級・I選手も然りである。たった1回の「指導」による相手の得点だけで敗退した。よくある事と言えばそれまでだが、戦ったとは言えないだろう。
米国に予選と決勝進出決定戦で敗れても尚挫けずに、敗れればメダルなしとなる瀬戸際の豪州戦を延長の末撃退して、進出した決勝では3度目の米国との対戦に勝って見事金メダルを獲得した女子ソフトボールチーム、決して恵まれた練習環境でなかった中でメダルこそ逃したが初の4位になった女子サッカーチーム、金メダルを取ると宣言してそれをやってのけた競泳のK選手、非力と言われながらも2大会連続の銅メダルを獲得した競泳女子のN選手、その他様々なプレッシャーを撥ね退けて見事結果を出した代表選手達がいることを考えるとその違いは大きい。
「出場」した以上は「不戦」ではないとの見方も意見もあるだろうが、代表に選ばれてからは事前の準備も含めて「戦い」であると考える。そしてコーチ陣・関係者にとっては交代の決断も戦いの中に入るのでないか。十分な時間はあった筈である。結果を出した選手達との違いはあまりに大きかった。テレビではあるが、観戦した素直な気持ちである。(以上「雑記」より)
オリンピックの代表に選ばれた各選手の試合までの個々の事情については、あくまでテレビや新聞の記事、解説による情報しかなく、選手の試合前の体調など知る由もないし愚生の勝手な思いでしかないが、本来代表に選ばれると言うことは自分だけの物(権利)でないと思う。国民の代表であり、私物化してはならないものだと思う。代表(枠)は共有の物だと言う思いを持って欲しい。だからこそ補欠の選手が選ばれたのでないだろうか。事前に不調になること、故障することなどはあると思うし、そんな時は選手もコーチも監督もJOC関係者も潔く補欠と交代するなどを決断して欲しい(勿論交代申告の期限とか色々ルールもあって難しいところもあるだろうし、試合直前の故障など不可避なものもあると思うが、欠場して出場枠を使わないのは余りに勿体ない)。代表としての責任を果たすとはそういうものだろうと思う。そうしてこそ意義のある参加と言うことになるのでないか。一つの出場枠を勝ち取るために如何に多くの試合や選考会があったか、選考に漏れてどのくらい多くのアスリートが涙したかを関係者は痛い程知っている筈である。来るべき東京オリンピックでは、故障を隠して当日に「欠場」」、或は出場して「途中棄権」などの「不戦敗」だけはして欲しくない。
再度願う。「参加することに意義があると言うならば、参加する意義のある選手に出場して欲しい」。
(2019.2.24)
女子48㎏級・T選手。銅メダルは流石であったが、準決勝では何も戦っていない。戦っていないことに対する「指導」のポイント差だけで負けた。戦い方を知り尽くしたT選手なら、攻勢に出て「指導」を避けることが出来た筈である。「指導」が出ても「双方(おあいこ)」に出るとの思い(油断)があったのでないか。
男子90kg級・I選手も然りである。たった1回の「指導」による相手の得点だけで敗退した。よくある事と言えばそれまでだが、戦ったとは言えないだろう。
米国に予選と決勝進出決定戦で敗れても尚挫けずに、敗れればメダルなしとなる瀬戸際の豪州戦を延長の末撃退して、進出した決勝では3度目の米国との対戦に勝って見事金メダルを獲得した女子ソフトボールチーム、決して恵まれた練習環境でなかった中でメダルこそ逃したが初の4位になった女子サッカーチーム、金メダルを取ると宣言してそれをやってのけた競泳のK選手、非力と言われながらも2大会連続の銅メダルを獲得した競泳女子のN選手、その他様々なプレッシャーを撥ね退けて見事結果を出した代表選手達がいることを考えるとその違いは大きい。
「出場」した以上は「不戦」ではないとの見方も意見もあるだろうが、代表に選ばれてからは事前の準備も含めて「戦い」であると考える。そしてコーチ陣・関係者にとっては交代の決断も戦いの中に入るのでないか。十分な時間はあった筈である。結果を出した選手達との違いはあまりに大きかった。テレビではあるが、観戦した素直な気持ちである。(以上「雑記」より)
オリンピックの代表に選ばれた各選手の試合までの個々の事情については、あくまでテレビや新聞の記事、解説による情報しかなく、選手の試合前の体調など知る由もないし愚生の勝手な思いでしかないが、本来代表に選ばれると言うことは自分だけの物(権利)でないと思う。国民の代表であり、私物化してはならないものだと思う。代表(枠)は共有の物だと言う思いを持って欲しい。だからこそ補欠の選手が選ばれたのでないだろうか。事前に不調になること、故障することなどはあると思うし、そんな時は選手もコーチも監督もJOC関係者も潔く補欠と交代するなどを決断して欲しい(勿論交代申告の期限とか色々ルールもあって難しいところもあるだろうし、試合直前の故障など不可避なものもあると思うが、欠場して出場枠を使わないのは余りに勿体ない)。代表としての責任を果たすとはそういうものだろうと思う。そうしてこそ意義のある参加と言うことになるのでないか。一つの出場枠を勝ち取るために如何に多くの試合や選考会があったか、選考に漏れてどのくらい多くのアスリートが涙したかを関係者は痛い程知っている筈である。来るべき東京オリンピックでは、故障を隠して当日に「欠場」」、或は出場して「途中棄権」などの「不戦敗」だけはして欲しくない。
再度願う。「参加することに意義があると言うならば、参加する意義のある選手に出場して欲しい」。
(2019.2.24)
第17話 「自宅前の歩道、自転車の危険がいっぱい」
自宅前の歩道は比較的広く、自転車も通行可である。自転車に乗っている人は概ね「歩行者優先」をわかっていると思うが、中にはそうでないと思われる人もいる。特に気になるのが、前後にチャイルドシートを付けた低重心の最新式のママチャリ(以下ママチャリと言う)と少年の自転車である。当方は概ね夫婦二人連れで歩いているが、すれ違う時・追い越す時大人の男性は殆どがペダルを漕ぐのをやめて、いつでも止まれる状態で通り過ぎる。ところがママチャリは殆どがペダルを漕いだまま速度を余り落とさず強引なくらいに通り過ぎる。前後に子供を乗せて…。
近くに保育園が数か所あってママチャリの数は多い。お母さんたちは忙しいので急いでいるかも知れないが、歩行者を邪魔もの扱いするかの如く通り過ぎる。こちらは怖いのと多少ムッと来るし、「子供を乗せたママチャリは優先される」と勘違いしているのでないかと思ってしまう。夫婦が横に並んで歩いていると確かに通りにくいと思う。だから意地になって速度も落とさず横をスレスレ通り抜けて行くのだろうかと勘繰ってしまうこともある。
今のママチャリは、重心が低いので走行安定性は以前の(重心の高い)ママチャリより良くなっていると思う。それでもペダルを漕ぎながらのハンドル操作は、漕がないでいる時より安定性が落ちると思う。
若しもぶつかった時、こちらも痛い思いをするだろうが、ママチャリも子供を乗せた状態で倒れると大きな被害に遭うことも考えられる。子供は大切な国の宝、そのお母さんも同様に大切。事故が起こる前に分かって欲しいし、もう少しゆっくり走って欲しい。
愚生はこの歩道で以前、後ろから追い抜いて行ったママチャリにぶつけられた経験がある。「止まれ」と叫んだが、そのお母さんはそのまま走り去った。当て逃げである。
警察署が作った看板が立てられていたこともあった。「〇月〇日の自転車による当て逃げ事故を目撃した方は警察署に連絡下さい」と。このようなことがいつ起こってもおかしくない状況なのである。この歩道では自転車走行可でもあくまで「歩行者優先」であり、自転車は直ぐ止まれるような速度で走ることが法律で決められている。「直ぐ止まれる速度(徐行)」とは概ね6km/時くらいと言われている。人が急いで歩く速度程度である。このことを自転車で歩道を走る人はまず知ってそして守って欲しいと思う。
それと、少年たちの自転車も怖い。歩行者の間をすり抜けて相当な速度で飛ばして行く。本人達は自信を持っているつもりかも知れないが常に万が一と言うことを心に留めて欲しい。今は自転車で事故を起こしても賠償1億円と言われる時代である。親御さんたちも子供には良く注意してあげて欲しいと思う。余計なお世話と言われるかも知れないが。
余計なお世話ついでに、個人賠償責任保険には加入しておいた方が良いと愚考する。車も自転車も卒業した愚生でもこの保険は今も加入している。何があるか分からない世の中であるから…。
(2019.2.25)
近くに保育園が数か所あってママチャリの数は多い。お母さんたちは忙しいので急いでいるかも知れないが、歩行者を邪魔もの扱いするかの如く通り過ぎる。こちらは怖いのと多少ムッと来るし、「子供を乗せたママチャリは優先される」と勘違いしているのでないかと思ってしまう。夫婦が横に並んで歩いていると確かに通りにくいと思う。だから意地になって速度も落とさず横をスレスレ通り抜けて行くのだろうかと勘繰ってしまうこともある。
今のママチャリは、重心が低いので走行安定性は以前の(重心の高い)ママチャリより良くなっていると思う。それでもペダルを漕ぎながらのハンドル操作は、漕がないでいる時より安定性が落ちると思う。
若しもぶつかった時、こちらも痛い思いをするだろうが、ママチャリも子供を乗せた状態で倒れると大きな被害に遭うことも考えられる。子供は大切な国の宝、そのお母さんも同様に大切。事故が起こる前に分かって欲しいし、もう少しゆっくり走って欲しい。
愚生はこの歩道で以前、後ろから追い抜いて行ったママチャリにぶつけられた経験がある。「止まれ」と叫んだが、そのお母さんはそのまま走り去った。当て逃げである。
警察署が作った看板が立てられていたこともあった。「〇月〇日の自転車による当て逃げ事故を目撃した方は警察署に連絡下さい」と。このようなことがいつ起こってもおかしくない状況なのである。この歩道では自転車走行可でもあくまで「歩行者優先」であり、自転車は直ぐ止まれるような速度で走ることが法律で決められている。「直ぐ止まれる速度(徐行)」とは概ね6km/時くらいと言われている。人が急いで歩く速度程度である。このことを自転車で歩道を走る人はまず知ってそして守って欲しいと思う。
それと、少年たちの自転車も怖い。歩行者の間をすり抜けて相当な速度で飛ばして行く。本人達は自信を持っているつもりかも知れないが常に万が一と言うことを心に留めて欲しい。今は自転車で事故を起こしても賠償1億円と言われる時代である。親御さんたちも子供には良く注意してあげて欲しいと思う。余計なお世話と言われるかも知れないが。
余計なお世話ついでに、個人賠償責任保険には加入しておいた方が良いと愚考する。車も自転車も卒業した愚生でもこの保険は今も加入している。何があるか分からない世の中であるから…。
(2019.2.25)
第17話 「自宅前の歩道、自転車の危険がいっぱい」(追記)
この歩道ではないが、(娘夫婦の住んでいる所に行っていて)孫を保育園に迎えに行った帰りの歩道で、我々夫婦と孫の三人を後ろから追い抜こうとした母子の自転車が、歩道横の草地に入って再び歩道に戻ろうとした際、縁石に車輪をとられて横転した。子供(幼児)は大泣きした。目の前だったので愚生はすぐ走り寄った。幸い、母親はすぐ自分で自転車を起こしたし子供もヘルメットを付けていてけがをした様子もなかったので、互いに挨拶をして別れたが、愚生は家の前の歩道の事を咄嗟に思った。いつ事故が起こってもおかしくないと思っていたことが、場所は違うが現実になったと。どこの歩道も同じ環境なのだと。頼むから気を付けてほしい。切なる気持ちである。
(2019.11.29)
(2019.11.29)
第18話 「ブラックホール」
昨夜「ブラックホール」の撮影に成功したとの報道があった。
「ブラックホール」の存在については幾多の学問的証拠は既に揃っているが、何しろ見たことがなかった。多くの学者・研究者が見ようとしても見られなかったものが、長きに亘る膨大な知恵と努力を要してやっと見ることが出来たのだと言う。日本、北米、南極、欧州、ハワイなど世界中の6ヶ所の天文台(望遠鏡)を同時に稼働させて成功したのだと言う。
「ブラックホール」は光さえも吸い込んでしまうものだから、本来人間の目には見えないものだが、(愚生の理解が正しければ)グラフィック化して可視的にしたものが今回発表された画像だと言うことらしい。確かに今まで想像で描かれていたイラストなどと似通っていた。
だけど、本来見えないものなので、どこまで真実に近いものかは愚生には理解できなかった。「へー、そんなものか」と言うのが正直な感想だった。
天文学、宇宙学の諸先生にとってはすごい発見(この場合立証とか確認と言うべきなのかも)であり、ノーベル賞を貰っても良い成果だとも言われるが、ピンと来ない。宇宙は大きすぎて愚生の頭では理解を超えてしまう。
宇宙の中に30以上の銀河系があって、一つ一つの銀河系の中に我々が住んでいる地球のようなものがあると言う。ではその30以上の銀河系の更に外側はどうなっているのか、何があるのか・・・。
この疑問については少年の頃から持っていた。父親に聞いたことがある。父親も答えに窮したのであろう、「そこまで行くともう理屈では考えられない。哲学の領域だ」と言った。うまく逃げられたのだが、仏教の輪廻にも通ずる一つの思想になってしまうのか。要するに愚生には未だに判らない。
難題はさておいて、今回の「ブラックホール」の事をテレビで発表したり、解説している学者・研究者の顔は皆輝いていて将に少年のようだった。
妻は言った、「子供におもちゃを与えた時の顔」と。
暗いニュースよりは喜ばしいニュースが良い。「科学の正しい発展に乾杯」。
(2019.4.11)
「ブラックホール」の存在については幾多の学問的証拠は既に揃っているが、何しろ見たことがなかった。多くの学者・研究者が見ようとしても見られなかったものが、長きに亘る膨大な知恵と努力を要してやっと見ることが出来たのだと言う。日本、北米、南極、欧州、ハワイなど世界中の6ヶ所の天文台(望遠鏡)を同時に稼働させて成功したのだと言う。
「ブラックホール」は光さえも吸い込んでしまうものだから、本来人間の目には見えないものだが、(愚生の理解が正しければ)グラフィック化して可視的にしたものが今回発表された画像だと言うことらしい。確かに今まで想像で描かれていたイラストなどと似通っていた。
だけど、本来見えないものなので、どこまで真実に近いものかは愚生には理解できなかった。「へー、そんなものか」と言うのが正直な感想だった。
天文学、宇宙学の諸先生にとってはすごい発見(この場合立証とか確認と言うべきなのかも)であり、ノーベル賞を貰っても良い成果だとも言われるが、ピンと来ない。宇宙は大きすぎて愚生の頭では理解を超えてしまう。
宇宙の中に30以上の銀河系があって、一つ一つの銀河系の中に我々が住んでいる地球のようなものがあると言う。ではその30以上の銀河系の更に外側はどうなっているのか、何があるのか・・・。
この疑問については少年の頃から持っていた。父親に聞いたことがある。父親も答えに窮したのであろう、「そこまで行くともう理屈では考えられない。哲学の領域だ」と言った。うまく逃げられたのだが、仏教の輪廻にも通ずる一つの思想になってしまうのか。要するに愚生には未だに判らない。
難題はさておいて、今回の「ブラックホール」の事をテレビで発表したり、解説している学者・研究者の顔は皆輝いていて将に少年のようだった。
妻は言った、「子供におもちゃを与えた時の顔」と。
暗いニュースよりは喜ばしいニュースが良い。「科学の正しい発展に乾杯」。
(2019.4.11)
第19話 「記事の見出しがわかりにくい」
「知っていますか。松本走り。」
これはテレビで「松本走り」を取り上げていた中で、大きく写し出された長野県・松本市の“広報まつもと”の表紙の見出しである、
「松本走り」と言うのは、交差点で直進してくる対向車の直前で右折する、或いは左折しようとする対向車の直前で右折する運転行為を言っているのだが、極めて危険な行為である。
冒頭に挙げた「知っていますか。松本走り。」の見出しにはこの危険行為をやめさせようとする“広報まつもと”の意図があるのだが、文言通りの見出しだと「松本走り」を紹介する(宣伝する、是認する)と受け取られる可能性もあると思った。記事の内容を読めば理解できると思うが読む時間のない人も多いと思うし、そうでなくても見出しだけで判断してしまう人も多いと思う。愚生も内容は読んでないし、テレビの解説で内容を知って直感的に「この見出しは言葉不足ではないか」と思った。
注意・警告をする内容なら、短い見出しの中でも(前か後に)「許しません」・「絶対やらないで」・「危険」など「事を否定する、やめさせる」言葉を敢えて加えることが必要だったのでないか。「言いたいことは何か」を見出しに入れることが肝要でないかと愚考する。
「見出しの意味不明」は新聞やスマホのニュースでも多く見受けられる。
わざとわかりにくい見出しにして、内容を読ませる策略かと思いたくなるものもある。そういう場合、読者は見ないで次に行くか、後回しにして結局読んで貰えないと言うことを知って欲しい。
全く逆で、判り易い見出しもある。一つの例として、あるテレビ番組で「要注意、深夜のドカ食い」、「危ない!夜食症候群」特集をやっていた。深夜の大量の食事が健康上芳しくないことを説明しているものであったが、画面の見出しの段階で「要注意」「危ない」と警告をしているので視聴者は内容を見なくても、「これはダメなんだ」と直感できる(愚生もテレビの内容は見ていない)。見出しとはこうあるべきだと思う。
昔ある政治家が言っていた。「朝は時間がないので、新聞は見出しだけサァーっと流し読みする」と。
昔の新聞はそれが出来た。今の新聞は見出しだけ読んでも何のことかわからないことがある。確かそのことを取り上げた評論もあったと記憶している。いつの頃からか、記事を書く人と見出しを書く人が分業になったのだとか(間違っていたらご容赦戴きたい)。
せわしないご時世である。記事内容を読まない人にも誤解を与えないように、「見出し」には気を使って欲しい。(ハヤトチリマン、ウッカリマンも結構いるのです。)
(2019.5.14)
これはテレビで「松本走り」を取り上げていた中で、大きく写し出された長野県・松本市の“広報まつもと”の表紙の見出しである、
「松本走り」と言うのは、交差点で直進してくる対向車の直前で右折する、或いは左折しようとする対向車の直前で右折する運転行為を言っているのだが、極めて危険な行為である。
冒頭に挙げた「知っていますか。松本走り。」の見出しにはこの危険行為をやめさせようとする“広報まつもと”の意図があるのだが、文言通りの見出しだと「松本走り」を紹介する(宣伝する、是認する)と受け取られる可能性もあると思った。記事の内容を読めば理解できると思うが読む時間のない人も多いと思うし、そうでなくても見出しだけで判断してしまう人も多いと思う。愚生も内容は読んでないし、テレビの解説で内容を知って直感的に「この見出しは言葉不足ではないか」と思った。
注意・警告をする内容なら、短い見出しの中でも(前か後に)「許しません」・「絶対やらないで」・「危険」など「事を否定する、やめさせる」言葉を敢えて加えることが必要だったのでないか。「言いたいことは何か」を見出しに入れることが肝要でないかと愚考する。
「見出しの意味不明」は新聞やスマホのニュースでも多く見受けられる。
わざとわかりにくい見出しにして、内容を読ませる策略かと思いたくなるものもある。そういう場合、読者は見ないで次に行くか、後回しにして結局読んで貰えないと言うことを知って欲しい。
全く逆で、判り易い見出しもある。一つの例として、あるテレビ番組で「要注意、深夜のドカ食い」、「危ない!夜食症候群」特集をやっていた。深夜の大量の食事が健康上芳しくないことを説明しているものであったが、画面の見出しの段階で「要注意」「危ない」と警告をしているので視聴者は内容を見なくても、「これはダメなんだ」と直感できる(愚生もテレビの内容は見ていない)。見出しとはこうあるべきだと思う。
昔ある政治家が言っていた。「朝は時間がないので、新聞は見出しだけサァーっと流し読みする」と。
昔の新聞はそれが出来た。今の新聞は見出しだけ読んでも何のことかわからないことがある。確かそのことを取り上げた評論もあったと記憶している。いつの頃からか、記事を書く人と見出しを書く人が分業になったのだとか(間違っていたらご容赦戴きたい)。
せわしないご時世である。記事内容を読まない人にも誤解を与えないように、「見出し」には気を使って欲しい。(ハヤトチリマン、ウッカリマンも結構いるのです。)
(2019.5.14)
第20話 「祖父と孫の関係」
孫たちに会うとどうしても甘やかしてしまう。だけど、どう接したら良いのかを時々考えてはいる。(孫たちの)親は自分たちの都合でこちらに預けておきながら「ジジババに預けた後は暫くリハビリ期間が必要だ」などと言う。人の世話になっていながら何というセリフかと思うものの、確かにジジババに甘えてその癖が抜けずに自宅に帰ってからも全てがのろくなり人を頼るようになっているようだし、共働きの親たちにしてみれば毎朝孫たちの送り出しと自分達の出勤の準備におおわらわになっていることもわかる。
愚生の幼少期、既に父方の祖父しか存命していなかった。その祖父は教育者で厳格だった。当時汽車で1~2時間離れた所に住んでいたが、行っても本を読んで貰ったことも一緒に風呂に入ったことも記憶にない。勿論一緒に遊んだリ出かけたりなどもなかった。一度何かでひどく叱られたことを覚えている。怖い存在でしかなかった。
それが少年期になり、勉強の参考書をよく買って貰うようになった。欲しい参考書を買って欲しいと手紙(葉書)を書く。祖父から送って貰ったらまた葉書で礼状を出す。後で知ったのだが、父親が「手紙を書く」ことで文章力を付けさせるためにやったことだった。確かに毎回同じ文面では流石におかしいと子供心にも思い、書く度に文章を懸命に考えた(何でオヤジが買ってくれないんだよ。田舎町でも本屋はあるのに。と悪態をつきながら書いていた筈だ)。父親の策略(?)だったことを祖父は知っていたどうか分からないが、当時未だ現役で毎日勤務していたものの既に80歳を過ぎていた身で、自ら本屋に行って探して、丁寧に梱包して送って呉れた。祖父の優しさを初めて知ったのだった。厳格だけでなかった・・・。「かわいい」と言っていたとも親戚の誰かからずっと後になって聞かされた。大学受験に失敗した時、「知恵の不足を努力で補い、努力の不足を知恵で補うように」と手紙を呉れたのを今でも覚えている。直接何かを言って呉れたのはそれだけだったように記憶している。その祖父は愚生が浪人中に逝った。大学入学を知らずに・・・。
これが愚生の祖父の孫(愚生)への接し方だった。最後まで厳格な態度しか見せなかった祖父だった。でも人並みに優しいジジだったのだ。ジジの深い慈愛を心に刻ませて呉れた。
今は時代が違うとは言うものの、愚生と祖父の過去を想い出しながら己が孫たちにはどう接して何を教えれば良いかを考えているが、正直言って判らない。生意気にも(孫たちの)親は言う。「しつけ、教育は親の責任。ジジババは口出ししないで」と。
(2019.3.18)
愚生の幼少期、既に父方の祖父しか存命していなかった。その祖父は教育者で厳格だった。当時汽車で1~2時間離れた所に住んでいたが、行っても本を読んで貰ったことも一緒に風呂に入ったことも記憶にない。勿論一緒に遊んだリ出かけたりなどもなかった。一度何かでひどく叱られたことを覚えている。怖い存在でしかなかった。
それが少年期になり、勉強の参考書をよく買って貰うようになった。欲しい参考書を買って欲しいと手紙(葉書)を書く。祖父から送って貰ったらまた葉書で礼状を出す。後で知ったのだが、父親が「手紙を書く」ことで文章力を付けさせるためにやったことだった。確かに毎回同じ文面では流石におかしいと子供心にも思い、書く度に文章を懸命に考えた(何でオヤジが買ってくれないんだよ。田舎町でも本屋はあるのに。と悪態をつきながら書いていた筈だ)。父親の策略(?)だったことを祖父は知っていたどうか分からないが、当時未だ現役で毎日勤務していたものの既に80歳を過ぎていた身で、自ら本屋に行って探して、丁寧に梱包して送って呉れた。祖父の優しさを初めて知ったのだった。厳格だけでなかった・・・。「かわいい」と言っていたとも親戚の誰かからずっと後になって聞かされた。大学受験に失敗した時、「知恵の不足を努力で補い、努力の不足を知恵で補うように」と手紙を呉れたのを今でも覚えている。直接何かを言って呉れたのはそれだけだったように記憶している。その祖父は愚生が浪人中に逝った。大学入学を知らずに・・・。
これが愚生の祖父の孫(愚生)への接し方だった。最後まで厳格な態度しか見せなかった祖父だった。でも人並みに優しいジジだったのだ。ジジの深い慈愛を心に刻ませて呉れた。
今は時代が違うとは言うものの、愚生と祖父の過去を想い出しながら己が孫たちにはどう接して何を教えれば良いかを考えているが、正直言って判らない。生意気にも(孫たちの)親は言う。「しつけ、教育は親の責任。ジジババは口出ししないで」と。
(2019.3.18)
第21話 「歴史の中の事実とは?」
某月某日の新聞に作家大宰治の事が載っていた。大宰は今年生誕110年を迎えたと言う。氏の生家は青森県五所川原市金木町のあの有名な「斜陽館」と言われていたが、そうではなくて、同じ敷地内にあった旧宅であったと言う説があるとの記事だった。その旧宅は「斜陽館」の新築に際して他人に譲られ、大宰氏が生まれる半年程前元の場所から300m程北に移築されたのだと言う。
1976年に発行された「金木郷土史」には、両方とも生家だとする記述が別々の箇所に写真も掲載されて紹介されているらしい。いい加減と言うか無責任と言うか・・・。
それにしても、110年と言へば、愚生の生まれる30数年前である。その位近い過去の歴史の事実が曖昧なのである。
「戸籍の出生場所が斜陽館の番地になっている」ことを根拠に出生場所は斜陽館で間違いないとしている大宰の研究家もいるとのことだが、届け出をした人がどう届け出たかによって変わって来ることもあると言うことを忘れてはならない。
愚生の身近で、結婚式の日を入籍日としないで後日届け出をした日を入籍日にしてしまった例や、生まれた日が明治なのに間もなく大正になることが判っていたので大正元年生まれで届け出たと言う事例がある。
入籍日の例では、前述の結婚式を挙げた夫婦の子供が大きくなって戸籍抄本か謄本かを役所から取り寄せた時、初めて結婚日と入籍日が違っていることを知った(何十年も知らないでいた)と言うおまけまでついている。届け出をした人が「歴史の事実」を変えたのである。
何かの書き物とか資料があり、それに基づいて歴史が今に伝えられているのだが、そこで事実とされているものが如何に曖昧なものかと思ってしまう。
不肖愚生だって、何か過去の事を書く時、一寸ぼかしたり、違った表現で書いたりすることは往々にしてある。別に隠すとかいうのでなく、そこまで書く必要がないか、文章が長くなるので端折って書いたと言う程度の理由からである。
歴史的な資料もひょっとするとそんな程度の思いで書かれ、それが事実として今に伝わっているのかも知れない。史実として伝わっている物って一体何なんだ・・・。そう思うと背筋がゾーっと寒くなる。
(2019.4.10)
1976年に発行された「金木郷土史」には、両方とも生家だとする記述が別々の箇所に写真も掲載されて紹介されているらしい。いい加減と言うか無責任と言うか・・・。
それにしても、110年と言へば、愚生の生まれる30数年前である。その位近い過去の歴史の事実が曖昧なのである。
「戸籍の出生場所が斜陽館の番地になっている」ことを根拠に出生場所は斜陽館で間違いないとしている大宰の研究家もいるとのことだが、届け出をした人がどう届け出たかによって変わって来ることもあると言うことを忘れてはならない。
愚生の身近で、結婚式の日を入籍日としないで後日届け出をした日を入籍日にしてしまった例や、生まれた日が明治なのに間もなく大正になることが判っていたので大正元年生まれで届け出たと言う事例がある。
入籍日の例では、前述の結婚式を挙げた夫婦の子供が大きくなって戸籍抄本か謄本かを役所から取り寄せた時、初めて結婚日と入籍日が違っていることを知った(何十年も知らないでいた)と言うおまけまでついている。届け出をした人が「歴史の事実」を変えたのである。
何かの書き物とか資料があり、それに基づいて歴史が今に伝えられているのだが、そこで事実とされているものが如何に曖昧なものかと思ってしまう。
不肖愚生だって、何か過去の事を書く時、一寸ぼかしたり、違った表現で書いたりすることは往々にしてある。別に隠すとかいうのでなく、そこまで書く必要がないか、文章が長くなるので端折って書いたと言う程度の理由からである。
歴史的な資料もひょっとするとそんな程度の思いで書かれ、それが事実として今に伝わっているのかも知れない。史実として伝わっている物って一体何なんだ・・・。そう思うと背筋がゾーっと寒くなる。
(2019.4.10)
第22話 「バスのアナウンス(まだ立たないでと言っているのに)」
バスに乗っている時の話である。運転手さんが「バスが止まってドアが開くまでそのままお座り下さい」とアナウンスしているのに止まる前から立ち上がって歩こうとする人が少なくない。大概はお年寄りの方である。少しでも早く降りる準備をすると言う気持ちか、或はボヤボヤして人に迷惑かけたくないとの配慮かも知れないが、見ていて非常に危なっかしい。バスが止まる時、前のめりになり慌てて何かにつかまる人も少なくない。止まってからゆっくり動けば良いのにと思う。人は「年齢と共に、先を急いだ行動をする傾向がある」との著書(※)を読んだ記憶がある。ある航空機事故の原因が初老のパイロットの先を急いだ操縦によるとの記述であった。自分だけの事なら未だしも多くの人を巻き込んだ事故となると事は重大である。(※柳田邦男著「マッハの恐怖」)
話が大袈裟になってしまった。バスの中の話を戻そう。
人様の事は言えない。愚生も何かにつけて先を急ぐようになったと思う。降りる停留所の大分前からSuicaを出したり荷物を持ち直したりなどしている。傍からは「なんとも性急なこと」と見られているかも知れない。
ただ、バスが止まるまで立ち上がらないようにしようとは心に決めている。 (2018.6)
話が大袈裟になってしまった。バスの中の話を戻そう。
人様の事は言えない。愚生も何かにつけて先を急ぐようになったと思う。降りる停留所の大分前からSuicaを出したり荷物を持ち直したりなどしている。傍からは「なんとも性急なこと」と見られているかも知れない。
ただ、バスが止まるまで立ち上がらないようにしようとは心に決めている。 (2018.6)
第23話 「マツタケ買ったけど・・・」
たまの衝動買いでマツタケを買った。その時の店員さんの応対が一寸気になった。
某デパートの食品売り場での事である。
上の棚に国産品のマツタケ、下の棚にカナダ産が置かれていた。値段は言わずもがな国産品が何倍も高い。そばで陣取っていた店員さんの応対が以下。
「お客さん 如何ですか」までは良いとして、次の行動(応対)は、
上の棚の国産品は全く勧めないで、下の棚のカナダ産のみを勧めて来た。客がどちらを買うのかを「分かっているよ」と言わんばかりの応対であった。
別に応対の態度が気になった訳ではないが、どうやって判断したのだろう。服装?風体?上の品物の説明を省略して時間短縮?それとも客の視線がどちらに向いているかを既に観察していた?・・・
買うまでそれほど時間を掛けていなかったし、その中で上も下も均等に見ていたと思ったが・・・。確かに(高い)国産品を買う積りはなかったしカナダ産を買ったのだが、店員さんの応対ぶりに後々まで一寸のこだわりが残った。店員さんは“やはりプロと言うことなのかな”。
それでも「上の国産品の説明も少しあって良かったンじゃないかナァ…」。
(2018.10.6)
某デパートの食品売り場での事である。
上の棚に国産品のマツタケ、下の棚にカナダ産が置かれていた。値段は言わずもがな国産品が何倍も高い。そばで陣取っていた店員さんの応対が以下。
「お客さん 如何ですか」までは良いとして、次の行動(応対)は、
上の棚の国産品は全く勧めないで、下の棚のカナダ産のみを勧めて来た。客がどちらを買うのかを「分かっているよ」と言わんばかりの応対であった。
別に応対の態度が気になった訳ではないが、どうやって判断したのだろう。服装?風体?上の品物の説明を省略して時間短縮?それとも客の視線がどちらに向いているかを既に観察していた?・・・
買うまでそれほど時間を掛けていなかったし、その中で上も下も均等に見ていたと思ったが・・・。確かに(高い)国産品を買う積りはなかったしカナダ産を買ったのだが、店員さんの応対ぶりに後々まで一寸のこだわりが残った。店員さんは“やはりプロと言うことなのかな”。
それでも「上の国産品の説明も少しあって良かったンじゃないかナァ…」。
(2018.10.6)
第24話 「秋田の四季(子供の頃の思い出)」前編
1m以上積もっていた雪が少しずつ溶けて、地肌が見え始めた時、最初に顔を出すのが蕗の薹や福寿草である。春の訪れを感じさせる3月初めの頃だったか・・・。でも春は未だ遠い。
雪どけ時やっかいなのが、真冬時に雪かきで道路脇に寄せられうず高く積まれている残雪の処分と、根雪が凍り付いて路面にへばりついているヤツの除去である。積まれた残雪は永く残っているので暇を見て側溝に落とし込む。凍っている根雪は「薪を割るまさかり」などで細かく割ってこれも側溝に落とし込む。現れた地面はビシャビシャ(ビショビショ)に濡れていて所々穴ボコが出来て水がたまり、馬車が通ると思いっ切り泥水を掛けられる。
舗装されたのは何年も経ってからだった。
残雪も無くなり道路が乾燥して来ると、それまで雪や根雪に閉じ込められていた馬糞(ばふん)の乾いたヤツが風に飛ばされ、粉状になって容赦なく通行人の口や目に入りこむ。その馬糞は冬の間に馬橇(ばそり)を引いて街中を動き回っていた馬が落としたヤツだ。避けようもない季節の贈り物・・・。自動車など殆どなく、物品の運送に馬車や馬橇が活躍していた時代のことだ。
やがてオーバーからその頃流行していた白地のダスターコートに変わる頃やっと春を感じる。
入学式のシーズンである。皆新調した学生服にお揃いのダスターコートを羽織っていた。この時期桜は未だである。それから約1か月後、4月末から5月初め、ほぼツツジと一緒に咲く。桜とツツジの千秋公園(旧秋田藩・佐竹公の城跡)を想い出す。
それからもう少し経つと新緑の季節。山に、わらび・ぜんまい・こごみなどが芽を出す。一寸した道端にも・・・。その頃にはダスターコートを脱いでセーター姿になる。衣服を1枚ずつ脱いで行くような気温の上がり方である。
初夏。山菜の全盛期となる。前述の種類に加えて、しどけ・あいこ・みずなどなど。しどけ、あいこは採れる時期もほんの10日くらい。それほど手に入らなかったし、山菜の王様と言われていた。つい最近まで鎌倉まで贈ってくれた知人がいたがもう来なくなった。山菜採りをする人が少なくなったのだと言う。
そして梅雨と田植え。未だ寒い日もある。
雪どけ時やっかいなのが、真冬時に雪かきで道路脇に寄せられうず高く積まれている残雪の処分と、根雪が凍り付いて路面にへばりついているヤツの除去である。積まれた残雪は永く残っているので暇を見て側溝に落とし込む。凍っている根雪は「薪を割るまさかり」などで細かく割ってこれも側溝に落とし込む。現れた地面はビシャビシャ(ビショビショ)に濡れていて所々穴ボコが出来て水がたまり、馬車が通ると思いっ切り泥水を掛けられる。
舗装されたのは何年も経ってからだった。
残雪も無くなり道路が乾燥して来ると、それまで雪や根雪に閉じ込められていた馬糞(ばふん)の乾いたヤツが風に飛ばされ、粉状になって容赦なく通行人の口や目に入りこむ。その馬糞は冬の間に馬橇(ばそり)を引いて街中を動き回っていた馬が落としたヤツだ。避けようもない季節の贈り物・・・。自動車など殆どなく、物品の運送に馬車や馬橇が活躍していた時代のことだ。
やがてオーバーからその頃流行していた白地のダスターコートに変わる頃やっと春を感じる。
入学式のシーズンである。皆新調した学生服にお揃いのダスターコートを羽織っていた。この時期桜は未だである。それから約1か月後、4月末から5月初め、ほぼツツジと一緒に咲く。桜とツツジの千秋公園(旧秋田藩・佐竹公の城跡)を想い出す。
それからもう少し経つと新緑の季節。山に、わらび・ぜんまい・こごみなどが芽を出す。一寸した道端にも・・・。その頃にはダスターコートを脱いでセーター姿になる。衣服を1枚ずつ脱いで行くような気温の上がり方である。
初夏。山菜の全盛期となる。前述の種類に加えて、しどけ・あいこ・みずなどなど。しどけ、あいこは採れる時期もほんの10日くらい。それほど手に入らなかったし、山菜の王様と言われていた。つい最近まで鎌倉まで贈ってくれた知人がいたがもう来なくなった。山菜採りをする人が少なくなったのだと言う。
そして梅雨と田植え。未だ寒い日もある。
第24話 「秋田の四季(子供の頃の思い出)」後編
やがて夏。秋田及び日本海側の各県はその年の全国の最高気温を記録することが多かった(最近は気候が変わっていて内陸が暑い)。この暑さが稲作には欠かせないのだがせいぜい1~1.5か月くらいで、しかも夜は涼しくなり雨戸を開けて蚊帳(かや)を吊っていれば寝苦しいことがなかった。勿論エアコンもクーラーも無い頃なので暑くてもガマンしていたのかも知れない。もう覚えていない。(鎌倉でも昭和50年代前半はベランダと玄関側の窓を開けておくと海風が通り、エアコンを止めても眠れたと記憶している。今は周囲に建物が多くなって風の通りが変わり、気候変動も加わって、エアコン無しで夜は過ごすことはとても出来ない。)
9月、あまり残暑は記憶にない。通学の汽車(当時は蒸気機関車が走っていた)の窓から稲の成長を見ていた筈だがこれも記憶は薄い。
10月になればもう朝晩はヒンヤリするような気候になる。秋の食材は豊富である。りんご、なし、ぶどう、くり、きのこ、エトセトラ、そして米。夏青々としていた田んぼは黄金色に変わり、稲穂は重そうに頭を垂れている。成長の最終の時である。この時期台風で稲が倒れるのを農家の人は心配する。
10月中旬になると、街中(まちなか)の公園でもかえで、いちょうが色づき始める。一日の気温差が大きい山間部では、真っ赤と真っ黄色の色の濃さが見事だ。
11月、どんよりした暗い空が多くなり、やがて降る雨は霙(みぞれ)そして雪に変わって行く。そう言えば、子供の頃は、12月には雪が降り積もって根雪になっていたが、20代の頃だったか(帰省しての記憶)年内には積もらず年が明けて根雪になることも多くなった。そして最近は除雪機能が整備されて真冬でも路面が見えており、子供の頃の雪で固められた道路とは隔世の感がある。でも真冬になれば、今でも山も田んぼも家の屋根も白一色の冬景色になるのは昔と変わらないようだ。それ以上に、全国各所で発生するゲリラ豪雨と同じようにドカ雪が降るようになったのは温暖化とは逆の気象現象であるが、よくわからない。この時期、屋根の雪下ろしと家の周辺の雪かきは欠かせない。屋根に積もった雪の重さは想像を超える。家を押しつぶすこともある。
「お椀を被せたような」との表現のようにどんよりと低く垂れ込めた雲と共に何か閉じ込められたような、そして時には目も開けていられないような吹雪の見舞う、そんな冬。人間だけでなく生物全てがじっと春を待つ。そうやって1年は終わる。
※蕗の薹(とう);薹とは蕗の花軸や花茎の事。「薹が立つ」とは「野菜などの花茎が伸びて固くなり、食用に適する時期が過ぎる」即ち「盛りを過ぎる。年頃を過ぎる。」の意味である。
(2019.2.23.)
9月、あまり残暑は記憶にない。通学の汽車(当時は蒸気機関車が走っていた)の窓から稲の成長を見ていた筈だがこれも記憶は薄い。
10月になればもう朝晩はヒンヤリするような気候になる。秋の食材は豊富である。りんご、なし、ぶどう、くり、きのこ、エトセトラ、そして米。夏青々としていた田んぼは黄金色に変わり、稲穂は重そうに頭を垂れている。成長の最終の時である。この時期台風で稲が倒れるのを農家の人は心配する。
10月中旬になると、街中(まちなか)の公園でもかえで、いちょうが色づき始める。一日の気温差が大きい山間部では、真っ赤と真っ黄色の色の濃さが見事だ。
11月、どんよりした暗い空が多くなり、やがて降る雨は霙(みぞれ)そして雪に変わって行く。そう言えば、子供の頃は、12月には雪が降り積もって根雪になっていたが、20代の頃だったか(帰省しての記憶)年内には積もらず年が明けて根雪になることも多くなった。そして最近は除雪機能が整備されて真冬でも路面が見えており、子供の頃の雪で固められた道路とは隔世の感がある。でも真冬になれば、今でも山も田んぼも家の屋根も白一色の冬景色になるのは昔と変わらないようだ。それ以上に、全国各所で発生するゲリラ豪雨と同じようにドカ雪が降るようになったのは温暖化とは逆の気象現象であるが、よくわからない。この時期、屋根の雪下ろしと家の周辺の雪かきは欠かせない。屋根に積もった雪の重さは想像を超える。家を押しつぶすこともある。
「お椀を被せたような」との表現のようにどんよりと低く垂れ込めた雲と共に何か閉じ込められたような、そして時には目も開けていられないような吹雪の見舞う、そんな冬。人間だけでなく生物全てがじっと春を待つ。そうやって1年は終わる。
※蕗の薹(とう);薹とは蕗の花軸や花茎の事。「薹が立つ」とは「野菜などの花茎が伸びて固くなり、食用に適する時期が過ぎる」即ち「盛りを過ぎる。年頃を過ぎる。」の意味である。
(2019.2.23.)
第25話 「初詣」
2018年.平成最後の大晦日。毎年のことだが、紅白歌合戦を片耳で聞き乍ら(殆ど聞いていない)「年誌」(日誌ではない。1年に一回だけのもの。)を書こうとしている。その前にふと初詣の事を想い出した。
古い話だが、鎌倉に住んで暫くなるのに鎌倉八幡様の初詣の人の多さを全く知らないでいた愚生の家族(夫婦と6歳と3歳の娘)が、初詣に行こうと大船駅から横須賀線に乗った。電車の混み様は経験のない異常な状態だった。鎌倉駅に着き人で溢れるホームに降りたのは良いが、ホームから改札口まで人がいっぱいで全く進んで行かない。(後で知ったことだが、ホームから改札口ではなくホームから八幡様まで人、人、人で埋まっていたのだった。)
娘たちも小さかったのでこれ以上人混みの中にいるのは危険と思い、そのまま上りの電車に乗って帰って来た。考えてみると、神奈川県に住んで15年以上経っていたが、初詣は結婚した頃住んでいたアパートの近所の御社に詣でたくらいしかなかった。故郷の秋田の田舎町での初詣も記憶にない。高校生の頃は町内から同じ高校に通学していた1~3年生の10人くらいで、除夜の鐘を聞いた後標高300m余の「森山」に雪を掻き分けて登るのが恒例だったので、神社詣などはしなかった。そんなことで、八幡様詣でで初詣の混雑ぶりを初めて知った訳である。
それから暫く経って、娘が中学受験をする年の正月だったと思うが、娘と二人で八幡様に初詣に行った。除夜の鐘を聞いた後すぐ横須賀線で鎌倉駅に着いたら、以前と同じくホームから八幡様まで人、人、人。昔、新潟県の弥彦神社で起こった将棋倒し事故の教訓によるものだと思うが、警察官が数百人括りで人並みを移動させては停止させ、空間を作ってから次の数百人を移動させると言う方法をとっていた。
その移動と停止を何十回と繰り返し乍ら、やっと八幡様の正殿まで着いた。
その数百人括りの人並みの中でも混雑は大変なものでまさに一度地面から離した足を地面に戻す(置く)のに一苦労すると言う状況だった。
正殿でお参りを終えたのが朝の6時頃で、参道脇の屋台で焼きそばだったと思うがそれを食べて家に戻ったのが午前7時を過ぎていたと思う。
そんな初詣を経験した後は八幡様の初詣には行っていない。元来余り真面目に初詣をするタイプでないし、あの混雑を想い出すと二度と行く気にはなれない。今は行くとしても気が向いた時(正月三が日ではない時に)、近くの大船観音様に詣でる程度である。暮のうちに大船観音様を詣でてそれでおしまいと言うことも度々ある。
と言うか、最近は暮に孫が来ていることが多く、散歩がてら手軽な大船観音様に詣でるのが恒例になりつつある。信心深くもないし、真面目に毎年初詣をすることもなく今まで来たが、鎌倉駅のホームからUターンしたのと一度だけの元旦の八幡様詣でが一寸した想い出である。
(2018.12.31)
古い話だが、鎌倉に住んで暫くなるのに鎌倉八幡様の初詣の人の多さを全く知らないでいた愚生の家族(夫婦と6歳と3歳の娘)が、初詣に行こうと大船駅から横須賀線に乗った。電車の混み様は経験のない異常な状態だった。鎌倉駅に着き人で溢れるホームに降りたのは良いが、ホームから改札口まで人がいっぱいで全く進んで行かない。(後で知ったことだが、ホームから改札口ではなくホームから八幡様まで人、人、人で埋まっていたのだった。)
娘たちも小さかったのでこれ以上人混みの中にいるのは危険と思い、そのまま上りの電車に乗って帰って来た。考えてみると、神奈川県に住んで15年以上経っていたが、初詣は結婚した頃住んでいたアパートの近所の御社に詣でたくらいしかなかった。故郷の秋田の田舎町での初詣も記憶にない。高校生の頃は町内から同じ高校に通学していた1~3年生の10人くらいで、除夜の鐘を聞いた後標高300m余の「森山」に雪を掻き分けて登るのが恒例だったので、神社詣などはしなかった。そんなことで、八幡様詣でで初詣の混雑ぶりを初めて知った訳である。
それから暫く経って、娘が中学受験をする年の正月だったと思うが、娘と二人で八幡様に初詣に行った。除夜の鐘を聞いた後すぐ横須賀線で鎌倉駅に着いたら、以前と同じくホームから八幡様まで人、人、人。昔、新潟県の弥彦神社で起こった将棋倒し事故の教訓によるものだと思うが、警察官が数百人括りで人並みを移動させては停止させ、空間を作ってから次の数百人を移動させると言う方法をとっていた。
その移動と停止を何十回と繰り返し乍ら、やっと八幡様の正殿まで着いた。
その数百人括りの人並みの中でも混雑は大変なものでまさに一度地面から離した足を地面に戻す(置く)のに一苦労すると言う状況だった。
正殿でお参りを終えたのが朝の6時頃で、参道脇の屋台で焼きそばだったと思うがそれを食べて家に戻ったのが午前7時を過ぎていたと思う。
そんな初詣を経験した後は八幡様の初詣には行っていない。元来余り真面目に初詣をするタイプでないし、あの混雑を想い出すと二度と行く気にはなれない。今は行くとしても気が向いた時(正月三が日ではない時に)、近くの大船観音様に詣でる程度である。暮のうちに大船観音様を詣でてそれでおしまいと言うことも度々ある。
と言うか、最近は暮に孫が来ていることが多く、散歩がてら手軽な大船観音様に詣でるのが恒例になりつつある。信心深くもないし、真面目に毎年初詣をすることもなく今まで来たが、鎌倉駅のホームからUターンしたのと一度だけの元旦の八幡様詣でが一寸した想い出である。
(2018.12.31)
第26話 「確定申告(e-tax)」
今年も確定申告を終えた。e-tax(国税電子申告・納税システム)で申告を始めて10年以上経ったが年毎に操作し易くなっている。昨年からマイナンバーカードを使っているが、昨年は確か利用者識別番号なるものとそれに付随する暗証番号も入力が必要だったと記憶している。今年は不要だった。マイナンバーカードが初めて役に立ったと思った。医療費控除用の医療費の集計も国税庁の作成したフォーマットが出来ていて、それを使って医療費が発生した都度入力しておけば申告書作成時「医療費控除の明細書」に置き換えられる。数年前まで1件毎に入力して明細書を作成していたのに比べると格段の進歩である。他の入力操作も容易になり、と言うよりも説明内容が理解しやすくなり、半日足らずで作成できた。数年前までは数日掛かっていたのだが・・・。
思えば、e-taxを使い始めた頃は内容が理解できず、国税庁のヘルプデスクに電話を掛け、受話器を片手にパソコンと睨めっこしていた時もあった。
又、マイナンバーカードの前は住民基本台帳カード(以下住基カード)なるものがあって、e-taxにはこれが必要だったので、その為だけに電子証明書付きの住基カードを交付して貰ったこともあった(他の用件で住基カードを使用したことも必要になったことも一度もなかった)。詳しいことは忘れてしまったが、利用者識別番号と暗証番号及び住基カードとその暗証番号の使い分けが理解できず(e-taxの説明マニュアルの意味が分からず)、何回か操作している内に住基カードの暗証番号にロックが掛かってしまい(当時は3回間違えるとロックが掛かる仕組みだった)、市役所に行って解除して貰い新しい暗証番号を登録し直したこともあった。必要事項の入力の前に説明内容や指示文章の理解に時間が掛かっていた。途中で投げ出したくなるのをこらえて何とか作成していたような記憶がある。
e-taxそのものも国税庁が試行錯誤を続けてやっと現在の操作し易いシステムに変わってきたのだと思うが、その過程において愚生が経験した色々な労苦(やり直しの苦労、それによる時間の浪費とイライラ、etc.)を多くの人達も同じように経験していたのだろうとつくづく思う。そしてそれらの尊い(?)労苦の結果がアンケートや苦情として国税庁に吸い上げられて改善につながり、現在の使い易いe-taxに変わって来たのだと思う。途中で投げ出さなくて良かったと思うし、今後は気軽に使えそうだと思えるようになった(決して国税庁の回し者ではない。素直な気持ちであると同時に昔のe-taxが解かりにくかったのは自分だけでなかったと自負できた)。唯、ついでに言うと、労苦だけではなく出費もそれなりにあった。「マイナンバーカード」の交付は初回無料だった(だけど次回更新時は有料)が、電子証明書付きの住基カードは確か有料だった。カードリーダーも買った。これは確定申告時に所得税控除の措置が取られたが、マイナンバーカードには使えず新しいカードリーダーを買った。
結局国が何か新しいことをやると手続きの煩雑さだけでなく、今述べたような出費が常につきまとう。いつの間にかいろんな形で出費を強いられている。これは是正して欲しいと思う。(2019.2.21)
思えば、e-taxを使い始めた頃は内容が理解できず、国税庁のヘルプデスクに電話を掛け、受話器を片手にパソコンと睨めっこしていた時もあった。
又、マイナンバーカードの前は住民基本台帳カード(以下住基カード)なるものがあって、e-taxにはこれが必要だったので、その為だけに電子証明書付きの住基カードを交付して貰ったこともあった(他の用件で住基カードを使用したことも必要になったことも一度もなかった)。詳しいことは忘れてしまったが、利用者識別番号と暗証番号及び住基カードとその暗証番号の使い分けが理解できず(e-taxの説明マニュアルの意味が分からず)、何回か操作している内に住基カードの暗証番号にロックが掛かってしまい(当時は3回間違えるとロックが掛かる仕組みだった)、市役所に行って解除して貰い新しい暗証番号を登録し直したこともあった。必要事項の入力の前に説明内容や指示文章の理解に時間が掛かっていた。途中で投げ出したくなるのをこらえて何とか作成していたような記憶がある。
e-taxそのものも国税庁が試行錯誤を続けてやっと現在の操作し易いシステムに変わってきたのだと思うが、その過程において愚生が経験した色々な労苦(やり直しの苦労、それによる時間の浪費とイライラ、etc.)を多くの人達も同じように経験していたのだろうとつくづく思う。そしてそれらの尊い(?)労苦の結果がアンケートや苦情として国税庁に吸い上げられて改善につながり、現在の使い易いe-taxに変わって来たのだと思う。途中で投げ出さなくて良かったと思うし、今後は気軽に使えそうだと思えるようになった(決して国税庁の回し者ではない。素直な気持ちであると同時に昔のe-taxが解かりにくかったのは自分だけでなかったと自負できた)。唯、ついでに言うと、労苦だけではなく出費もそれなりにあった。「マイナンバーカード」の交付は初回無料だった(だけど次回更新時は有料)が、電子証明書付きの住基カードは確か有料だった。カードリーダーも買った。これは確定申告時に所得税控除の措置が取られたが、マイナンバーカードには使えず新しいカードリーダーを買った。
結局国が何か新しいことをやると手続きの煩雑さだけでなく、今述べたような出費が常につきまとう。いつの間にかいろんな形で出費を強いられている。これは是正して欲しいと思う。(2019.2.21)
第26話 「確定申告(e-tax)」 (追記)
マイナンバーカードの電子証明書の更新の通知を貰って、初めてカードも含めて更新料が無料であることを知った。だけど6か月以内に撮影した顔写真が必要で、自分で撮る以外は有料になり、やはり費用は掛かる。手間も掛かる。
対して、使用する機会としては、愚生がe-taxで使うだけである。いずれ住民票をコンビニで発行して貰うこともあるかも知れないが、極めて使用頻度は低い。マイナンバーカード更新の時は(5年後だが)愚生はe-taxを利用しているかどうかわからないし、妻も一度も使ってないし必要性も感じて無いようだ。健康保険証と一緒にするなどの新たな利用方法が加わらなければ、もう更新する意味がない。取得率が1割台に低迷しているのも結局必要性を感じないところに原因があるのだと思う。
(2019.12.28)
対して、使用する機会としては、愚生がe-taxで使うだけである。いずれ住民票をコンビニで発行して貰うこともあるかも知れないが、極めて使用頻度は低い。マイナンバーカード更新の時は(5年後だが)愚生はe-taxを利用しているかどうかわからないし、妻も一度も使ってないし必要性も感じて無いようだ。健康保険証と一緒にするなどの新たな利用方法が加わらなければ、もう更新する意味がない。取得率が1割台に低迷しているのも結局必要性を感じないところに原因があるのだと思う。
(2019.12.28)
第27話 「北京の大気汚染に思う」
夕闇を思わせるような北京の街並みのテレビ映像。道路の中央に立つ交通警官が車に惹かれてしまうのでないかと思うような暗さ(視界の悪さ)。北京の大気汚染の状況である。その映像を見た時、愚生が会社に入社した頃の横浜市・生麦の工場街を想い出した。前述の北京の映像程ひどくはなかったが、工場の煙突からもうもうと煙が吐き出され硫黄臭が目や鼻を刺激し、毎日こんな所に通勤するのかと流石に嫌になった。「生麦喘息(ぜんそく)」と言われる所以の大気汚染をもたらしていた煙であった。
その後、日本の高度成長と並行して環境対策にも多大な力が投入された。
工場、事業所から発生する固定発生源に対しては、硫黄酸化物(SOX)の除去、重油脱硫、窒素酸化物(NOX)の除去、集塵などの装置が昭和40年代後半から実用化され大気の浄化に貢献して来た。自動車、船舶、航空機から発生する移動発生源については、例えば自動車の排出ガス規制については段階的に規制が強化され、窒素酸化物(NOX)や浮遊微粒物質(PM)などは昭和40年代後半に比べて1/100前後まで削減された。そのような規制に対応するために、当時勤務していた自動車会社の開発部署の激務振りは凄まじいものだったことを覚えている。他の自動車会社も同じような局面が当然あったと思う。
このような対策によって今ではきれいな大気が取り戻されつつあるが、今の北京があの時の生麦と同じような状況なら(汚染地域の広さ、汚染物質の種類とか濃度の差はあると思うが)日本より50年以上環境対策が遅れていることになる。しかも国土は広いし、生産規模も日本の当時よりはるかに大きいだろうしそれらから排出される汚染物質の量は膨大なものであろう。PM25のように大気に放出された微細粒子は自国だけでなく周辺にも飛来している。今や中国も大気汚染問題が深刻であることを認識していて、固定発生源の対策とか電気自動車の導入に関する法律の制定などに鋭意取り組んでいるようだが、一刻も早い対策を願うものである。
(2018.11.21)
その後、日本の高度成長と並行して環境対策にも多大な力が投入された。
工場、事業所から発生する固定発生源に対しては、硫黄酸化物(SOX)の除去、重油脱硫、窒素酸化物(NOX)の除去、集塵などの装置が昭和40年代後半から実用化され大気の浄化に貢献して来た。自動車、船舶、航空機から発生する移動発生源については、例えば自動車の排出ガス規制については段階的に規制が強化され、窒素酸化物(NOX)や浮遊微粒物質(PM)などは昭和40年代後半に比べて1/100前後まで削減された。そのような規制に対応するために、当時勤務していた自動車会社の開発部署の激務振りは凄まじいものだったことを覚えている。他の自動車会社も同じような局面が当然あったと思う。
このような対策によって今ではきれいな大気が取り戻されつつあるが、今の北京があの時の生麦と同じような状況なら(汚染地域の広さ、汚染物質の種類とか濃度の差はあると思うが)日本より50年以上環境対策が遅れていることになる。しかも国土は広いし、生産規模も日本の当時よりはるかに大きいだろうしそれらから排出される汚染物質の量は膨大なものであろう。PM25のように大気に放出された微細粒子は自国だけでなく周辺にも飛来している。今や中国も大気汚染問題が深刻であることを認識していて、固定発生源の対策とか電気自動車の導入に関する法律の制定などに鋭意取り組んでいるようだが、一刻も早い対策を願うものである。
(2018.11.21)
第28話 「お天道様はお怒りだ!」
人類は地球をそして地球を取り巻く大気をいじめ過ぎた。
有史以来、地中を深く掘って鉱物を採り尽くして鉱毒を流し、海では魚類などを乱獲して一方でブラごみを放り込み、それでも足りなくて月に、宇宙に、ロケットを飛ばし、月のそして他の星の鉱物を物色しようとしている。
化石燃料も取り放題。その結果大気を汚染し過ぎて、地球環境に悪いとちょっぴり反省し同時に枯渇を懸念して原子力を取り入れたのは良いが、放射能漏れによる被害をもたらした。
プラごみをばらまき過ぎたと言ってレジ袋を有料にしてしまったが、そのツケで紙の包装が増えていることに気が付かないのだろうか。この年末年始の包装紙類が例年になく多かった。
日本だけで消費する紙のために、海外の広大な森林資源が毎年々々消滅していると言うではないか。森林の消滅は水害などを招き、生態系を乱して地球を傷つける。
これではお天道様もお怒りになるのは当然だ。
大雨を降らせ、途轍もなく大きな台風を地球の各所に送り込んで警告を発して来たが、反省の色もないのでついに新型コロナウィルスを送り込んで来た。
これに対して人類はウィルスへの感染を防ぐワクチンを創りあげた。
でもコロナもしぶとい。二の矢で変異株を創り出し、更に三の矢としてイギリス株とアフリカ株のハイブリッドまで用意して来た。これらは感染力も強くワクチンもあまり効かないと言う。
ワクチンがコロナに勝つか、ワクチン争奪で人間が右往左往している間に変異株が更に猛威を振るうのか。
いずれ人間の叡智はコロナを抑え込むと思うがそうなるまでどれ程の犠牲と時間を払うことになるのだろうか。
今、取り敢えず我々に出来ることは、極めて基本的なことだが、マスク・消毒・うがいと三密回避を守ることだ。みんな守ろうではないか!
そして考えてもご覧!100年前のスペイン風邪、そして今コロナウィルス。
例えこれを克服しても、次に又何らかのパンデミックが襲って来るだろう。
そうなる前にこの地球を、大気を、もう少し労わってあげなければならないと思う。
我々にとって地球は一つしかない。住むところは一つしかない。今の処、他の星に移住することは出来ないのだから。
テレビでも、世界の各地で人間のこれまでして来たことに対する反省の言葉が出ていると報じた。
歴史学者が、一般の人が、「人間の営みに対して警鐘がならされているのだ」、
「地球環境の悪化を思うと、第二のコロナが来るかも知れない」と。
人類のして来た業(ごう)に対する反省の弁であるが、未だ多くの人は、他人ごとで自分の事として捉えていないように見える。真面目に捉えなければならない、もう切羽詰まっている筈だ。
(2021.2.28)
有史以来、地中を深く掘って鉱物を採り尽くして鉱毒を流し、海では魚類などを乱獲して一方でブラごみを放り込み、それでも足りなくて月に、宇宙に、ロケットを飛ばし、月のそして他の星の鉱物を物色しようとしている。
化石燃料も取り放題。その結果大気を汚染し過ぎて、地球環境に悪いとちょっぴり反省し同時に枯渇を懸念して原子力を取り入れたのは良いが、放射能漏れによる被害をもたらした。
プラごみをばらまき過ぎたと言ってレジ袋を有料にしてしまったが、そのツケで紙の包装が増えていることに気が付かないのだろうか。この年末年始の包装紙類が例年になく多かった。
日本だけで消費する紙のために、海外の広大な森林資源が毎年々々消滅していると言うではないか。森林の消滅は水害などを招き、生態系を乱して地球を傷つける。
これではお天道様もお怒りになるのは当然だ。
大雨を降らせ、途轍もなく大きな台風を地球の各所に送り込んで警告を発して来たが、反省の色もないのでついに新型コロナウィルスを送り込んで来た。
これに対して人類はウィルスへの感染を防ぐワクチンを創りあげた。
でもコロナもしぶとい。二の矢で変異株を創り出し、更に三の矢としてイギリス株とアフリカ株のハイブリッドまで用意して来た。これらは感染力も強くワクチンもあまり効かないと言う。
ワクチンがコロナに勝つか、ワクチン争奪で人間が右往左往している間に変異株が更に猛威を振るうのか。
いずれ人間の叡智はコロナを抑え込むと思うがそうなるまでどれ程の犠牲と時間を払うことになるのだろうか。
今、取り敢えず我々に出来ることは、極めて基本的なことだが、マスク・消毒・うがいと三密回避を守ることだ。みんな守ろうではないか!
そして考えてもご覧!100年前のスペイン風邪、そして今コロナウィルス。
例えこれを克服しても、次に又何らかのパンデミックが襲って来るだろう。
そうなる前にこの地球を、大気を、もう少し労わってあげなければならないと思う。
我々にとって地球は一つしかない。住むところは一つしかない。今の処、他の星に移住することは出来ないのだから。
テレビでも、世界の各地で人間のこれまでして来たことに対する反省の言葉が出ていると報じた。
歴史学者が、一般の人が、「人間の営みに対して警鐘がならされているのだ」、
「地球環境の悪化を思うと、第二のコロナが来るかも知れない」と。
人類のして来た業(ごう)に対する反省の弁であるが、未だ多くの人は、他人ごとで自分の事として捉えていないように見える。真面目に捉えなければならない、もう切羽詰まっている筈だ。
(2021.2.28)
第29話 「丁度良いのが丁度良い」前編
冒頭の言葉は、昔自動車で通勤していた頃よく聞いていた山谷親平さんのラジオ番組「おはよう日本」に時々出演していたお医者さんが良く口にしていた言葉である。その言葉がお医者さんの声と共に今も愚生の頭に焼き付いており、事ある毎に実感している(大変失礼ながら、そのお医者さんのお名前を想い出せない。調べてみたがわからない。そのお医者さんがおっしゃっていた言葉と記憶しているが、間違っていたらご容赦戴きたい)。
ムリに何かやることはない。ムリにやろうとすると多くのエネルギーを必要とする。運動でも、頭の体操でも、趣味でも、今更無理して上を目指すことはないと大分前から納得している。少しは上達したいと欲を出すこともあろうが、それも丁度良いレベルの努力で良い。
最近高齢者の交通事故が多く報道されている。「丁度良い時に自動車の運転をやめるのが丁度良い」のだが、その丁度良い時(タイミング)は何時なのかが難しい。自動車はあれば便利だし、機動性は自動車のない場合に比べて格段に違う。細かいことだが、雨の日や風の強い日などには濡れないし服装や髪が乱れずに済む。そのこと一つ取ってみてもあれば助かることこの上もない。だからつい何時までも身近に置きたくなってしまう。
でも年齢と共に体が思うように動かなくなる、判断力は鈍る、反射神経も衰える。
自動車運転の高齢者講習を受けて「認知症の試験と運転免許更新の検査を問題なくパスした」としても、その時は程良く緊張しているから上手く出来たのだ。普段はその緊張味が持続しにくくなっているのが高齢者の特徴であろう。すぐ居眠りをするなどその一例である。
だから運転をやめる丁度良いタイミングを見逃さないことが肝要かと思う。
折しも今新聞で報道されている池袋での交通事故の運転者は87歳とのこと。テレビに映った体の動きは(事故の影響もあったと思うが)相当緩慢に見受けられた。自動車を運転出来る状態とは見受けられなかった。本人は「自分に驕りがあった」、「未だ体力に自信があると思っていた」と言っているようだが・・・。国の技術系の機関のトップだったとか。今引退しているとは言え、そう言う人こそもっと社会的責任の範を垂れるべきでないかと感じた。
愚生は現役時代自動車の開発に携わる中で、自動車自体の安全対策と同時に歩行者の安全対策などとも向き合って来た。そんな関係からプライベートでも自動車の運転に関しては常に緊張していたように思う。そして自分の運転経歴を悔いのない形で終えたいと思ったこと且つ車社会に関与して来た者の一人として最後までそれなりの責任を持たなければならないと思ったことから、75歳になる前に車生活を卒業した。緊張感の持続が出来なくなったと感じたこともキッカケの一つである。
「ウッカリ」・「見えていたのに、結果として見落とした」がほんの偶にだが出て来たからである.「やってしまった」となる前に思い切って決断した。周囲から“まだ早い”と言われたが愚生としては正解だったと思っている。
ムリに何かやることはない。ムリにやろうとすると多くのエネルギーを必要とする。運動でも、頭の体操でも、趣味でも、今更無理して上を目指すことはないと大分前から納得している。少しは上達したいと欲を出すこともあろうが、それも丁度良いレベルの努力で良い。
最近高齢者の交通事故が多く報道されている。「丁度良い時に自動車の運転をやめるのが丁度良い」のだが、その丁度良い時(タイミング)は何時なのかが難しい。自動車はあれば便利だし、機動性は自動車のない場合に比べて格段に違う。細かいことだが、雨の日や風の強い日などには濡れないし服装や髪が乱れずに済む。そのこと一つ取ってみてもあれば助かることこの上もない。だからつい何時までも身近に置きたくなってしまう。
でも年齢と共に体が思うように動かなくなる、判断力は鈍る、反射神経も衰える。
自動車運転の高齢者講習を受けて「認知症の試験と運転免許更新の検査を問題なくパスした」としても、その時は程良く緊張しているから上手く出来たのだ。普段はその緊張味が持続しにくくなっているのが高齢者の特徴であろう。すぐ居眠りをするなどその一例である。
だから運転をやめる丁度良いタイミングを見逃さないことが肝要かと思う。
折しも今新聞で報道されている池袋での交通事故の運転者は87歳とのこと。テレビに映った体の動きは(事故の影響もあったと思うが)相当緩慢に見受けられた。自動車を運転出来る状態とは見受けられなかった。本人は「自分に驕りがあった」、「未だ体力に自信があると思っていた」と言っているようだが・・・。国の技術系の機関のトップだったとか。今引退しているとは言え、そう言う人こそもっと社会的責任の範を垂れるべきでないかと感じた。
愚生は現役時代自動車の開発に携わる中で、自動車自体の安全対策と同時に歩行者の安全対策などとも向き合って来た。そんな関係からプライベートでも自動車の運転に関しては常に緊張していたように思う。そして自分の運転経歴を悔いのない形で終えたいと思ったこと且つ車社会に関与して来た者の一人として最後までそれなりの責任を持たなければならないと思ったことから、75歳になる前に車生活を卒業した。緊張感の持続が出来なくなったと感じたこともキッカケの一つである。
「ウッカリ」・「見えていたのに、結果として見落とした」がほんの偶にだが出て来たからである.「やってしまった」となる前に思い切って決断した。周囲から“まだ早い”と言われたが愚生としては正解だったと思っている。
第29話 「丁度良いのが丁度良い」後編
まさに「丁度良いのが丁度良い」のだったと自画自賛している。そして今年1月(79歳になる1ケ月前)、自動車運転免許証を返納した。
話は変わるが、良寛禅師の言葉に「お前はお前で丁度良い」の文章(※)がある。冒頭のお医者さんの事を調べているときに知ったのだが、考えさせられることが多い文章だった。
後日更に調べていて判ったのだが、この文章は良寛禅師ではなく、藤場美津路さんと言う石川県野々市町の常讃寺の坊守さん(ぼうもり、住職の奥さん)が作ったものだと知った。何かのキッカケで良寛禅師の作となってしまったらしい。(※当該文章については省略。)
ついでながら、「丁度良い」には二つの意味があると辞書にあった。
一つは「合っている」、英語では“JustRight”。
もう一つは「時機として丁度良い」、即ち「潮時」と言う意味である。
更に、この「潮時」の意味は一般的に「引き際」と解釈されているが、出る時と引く時の両方の意味がある。即ち、「漁師の出漁の時機」について満潮・干潮そして天候も含めて「時機をみる(決める)」(出漁するか止めるか)ことから来たとの事である。
何かを調べていると、色々なことに突き当たる。それを調べているとまた別の事を知る。だから辞書などを良く引く。今はネットで殆ど調べられるが、敢えて「広辞林」・「古語辞典」などを手元に置いている。他の書物類は殆ど捨ててしまったけれど・・・。
話がトッチラカッタ。「丁度良い」からはみ出してしまった。
(2019.4.21、2020.10.20改)
話は変わるが、良寛禅師の言葉に「お前はお前で丁度良い」の文章(※)がある。冒頭のお医者さんの事を調べているときに知ったのだが、考えさせられることが多い文章だった。
後日更に調べていて判ったのだが、この文章は良寛禅師ではなく、藤場美津路さんと言う石川県野々市町の常讃寺の坊守さん(ぼうもり、住職の奥さん)が作ったものだと知った。何かのキッカケで良寛禅師の作となってしまったらしい。(※当該文章については省略。)
ついでながら、「丁度良い」には二つの意味があると辞書にあった。
一つは「合っている」、英語では“JustRight”。
もう一つは「時機として丁度良い」、即ち「潮時」と言う意味である。
更に、この「潮時」の意味は一般的に「引き際」と解釈されているが、出る時と引く時の両方の意味がある。即ち、「漁師の出漁の時機」について満潮・干潮そして天候も含めて「時機をみる(決める)」(出漁するか止めるか)ことから来たとの事である。
何かを調べていると、色々なことに突き当たる。それを調べているとまた別の事を知る。だから辞書などを良く引く。今はネットで殆ど調べられるが、敢えて「広辞林」・「古語辞典」などを手元に置いている。他の書物類は殆ど捨ててしまったけれど・・・。
話がトッチラカッタ。「丁度良い」からはみ出してしまった。
(2019.4.21、2020.10.20改)
第30話 「骨密度と声帯」
過日、シルバー人材センターで開催した体力測定を受けた。そこで骨密度が「通常の下」の判定を受けた。ショックだった。子供のころから母親の「カルシュウム、カルシュウム」の口癖のせいで、小魚を良く食べた。煮干し・焼干しをおやつ代わりに食べたし、食事時イワシ・サンマ程度の大きさの魚は頭ごと食べていた記憶がある。
お陰で少なくとも20代後半までは間違いなく虫歯なしで、医者に驚かれたこともあったし、歯を含めて「骨」にはソコソコ自信を持っていた。
骨密度が低下した原因はカフェインの取り過ぎとの事。
喫煙をやめてかれこれ20年。反動でコーヒーを多く飲むようになった。お茶もそれなりに飲む。そのカフェインが「カルシュウム」を尿と共に体外に流してしまうのだとか。
判定を受けてコーヒーの量が減った。偶然だが、仕事仲間の数名も同じようにコーヒーを減らした。一緒ではなかったが、それぞれ骨密度を測定した結果によるとのことだった。
「骨」はやっぱりもう暫く、「普通」以上であって欲しい。
そして「声帯」。
「声帯を強くしよう」と言う講座で、「アー」と声を出し続けるレッスンがあった。
男性は15秒以上続けられると「正常」なのに愚生は14秒。何回かやったが同じ。声帯が若干衰えているとの判定だった。
声帯の衰えは誤嚥につながり、誤嚥は肺炎につながる。
良く声は出しているし、コーラスも続けているし、喉(声帯)は大丈夫と思っていたがその自信は見事に打ち砕かれた。年と共に色々なところが衰えて行くのだと実感した。素直に受け入れて鄙(ひな)びるか、未だ抵抗を続けて何かエクササイズをやるか少し悩んでいる。
「骨密度」も「声帯」も愚生の持っている数少ない「多少マシな部分(パーツ)(?)」と思っていたので、その衰えを知り少なからぬショックを感じた。
(2018.9)
(追記)
腰に痛みが生じて整形医院で受診した際、大腿骨・腰椎の骨密度を正確に測定した。
結果は「同年代の人と比較して標準値以上で心配なし」であった。一安心した。
(2020.10.1)
お陰で少なくとも20代後半までは間違いなく虫歯なしで、医者に驚かれたこともあったし、歯を含めて「骨」にはソコソコ自信を持っていた。
骨密度が低下した原因はカフェインの取り過ぎとの事。
喫煙をやめてかれこれ20年。反動でコーヒーを多く飲むようになった。お茶もそれなりに飲む。そのカフェインが「カルシュウム」を尿と共に体外に流してしまうのだとか。
判定を受けてコーヒーの量が減った。偶然だが、仕事仲間の数名も同じようにコーヒーを減らした。一緒ではなかったが、それぞれ骨密度を測定した結果によるとのことだった。
「骨」はやっぱりもう暫く、「普通」以上であって欲しい。
そして「声帯」。
「声帯を強くしよう」と言う講座で、「アー」と声を出し続けるレッスンがあった。
男性は15秒以上続けられると「正常」なのに愚生は14秒。何回かやったが同じ。声帯が若干衰えているとの判定だった。
声帯の衰えは誤嚥につながり、誤嚥は肺炎につながる。
良く声は出しているし、コーラスも続けているし、喉(声帯)は大丈夫と思っていたがその自信は見事に打ち砕かれた。年と共に色々なところが衰えて行くのだと実感した。素直に受け入れて鄙(ひな)びるか、未だ抵抗を続けて何かエクササイズをやるか少し悩んでいる。
「骨密度」も「声帯」も愚生の持っている数少ない「多少マシな部分(パーツ)(?)」と思っていたので、その衰えを知り少なからぬショックを感じた。
(2018.9)
(追記)
腰に痛みが生じて整形医院で受診した際、大腿骨・腰椎の骨密度を正確に測定した。
結果は「同年代の人と比較して標準値以上で心配なし」であった。一安心した。
(2020.10.1)